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書名:
『ネオ・ジパングの夜明け』
書誌:
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著者 高遠 哲+グループ・ホルス
(関連URL:http://now.ohah.net/pari/)
発行 株式会社コスモ・テン(1998年10月25日初版発行)
〒151-0053 東京都渋谷区代々木5-23-8
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私評:
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あるとき、新聞の書評か何かで高橋乗宣さんの言葉を読んだことがあった。
それがどんな言葉だったのか、正確には思い出せない。
これからの経済がどうなっていくのかは、もう誰にもわからない、というような趣旨の発言だったのではないかと思う。
専門家が分からないというのなら、専門家でない人間が発言してもいいわけだ、という不遜な思いがむくむくと沸き起こった。
一、二ヶ月をかけて、『破壊と再生』という原稿を書き上げた。
できあがったばかりの原稿を三部ほどコピーを取って、しばらくぶりの友人との新年の集まりにプレゼントとして持参した。
その場に、来ることを知らされていなかった別の友人も後から参加した。
その友人にも原稿を渡したのだが、翌日、その彼から電話がかかってきた。
「これはすごい本だね。そういっては何だが、これはノーベル賞クラスの本だと思う」と。
あまり極端な言い方なので、ちょっと呆気にとられたが、まあ、悪い気はしなかった。
「もし、出版社が見つからなければ、ぼくが見つけて上げますよ」とも言ってくれた。
原稿を読んでいただいた何人かの友人からは、じつに面白いという評をいただいたが、原稿を送った数社の出版社からは出版の話はなく、結局、その彼の紹介で、コスモ・テンの高橋社長に縁をつないでいただいたのだった。
その後、いろんなことがあって、わたしが書いた『破壊と再生』は、『ネオ・ジパングの夜明け』という本となって物理次元に現れた。
その過程で、いろいろなことを教えていただいた。
どのような思いが、どのような形で物質化するのか、そういうことを如実に学んだと思う。
自分に正直であるとは、そう簡単なことではなかったのだと思い知らされた。
肝心なのは、自分のクリアーな視野だったのだ。
ペンネームにした本が出版されてから、一度もこの本を通読したことがない。
(2004,9/18)
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引用:(オリジナル原稿の『破壊と再生』に拠ります)
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けれども、じつはここに、人々があまり注意を向けたがらないある秘密がある。
それは「一元管理された最大規模の富の集中は、絶対的に他のすべての富を支配する」という絶対則だ。
ここには、じつは偶然の入り込む余地はない。
なぜそう断言できるのだろう。
なぜなら、もしそうでなかったら、長期的にはシステム内に完全にバランスした「富」の環流が実現するはずだ。すると結果的には、マクロでは物々交換的な意味での物流と「貨幣」の流れが完全に一致するはずだから、このシステム自体が人間界という自然界の完全な写し絵となり、大きな自然の中にすっぽりと収まることになる。貧富の差といっても、それは衣食住の面での若干の差にしかならないだろう。どんな金持ちも、胃袋を何千何万と持てるわけではないから。
つまるところ、このシステムは“ネズミ講”にもなりえないし、その結果、自然界への収奪圧力がシステム内に発生しないから、自然界の中での“癌組織”にもならないはずだ。
ここに「お金」というものの魔法がある。
私たち人間を自然の収奪に駆り立てているのは、じつは、地上のどこかに膨大に溜め込まれた金貨と磁気媒体に記録されている数字なのだ。システム内に生きている私たち全員は、この蓄積された富に背後から操作され、それとの「比較」に縛られて、絶えずより多くの物質的富の獲得に向けて駆り立てられて生きているわけだ。極端な戯画化をするなら、途上国の住民は先進国の住民の消費レベルを目指し、先進国の住民はロックフェラー家の消費生活レベルを目指して頑張らざるをえないということだ。このシステムだけを見て生きる限り、必ずそうなるのだ。
私たちが、「貨幣」を「富」と同一視することの恐ろしさがここにある。
私たちの目を「貨幣」に釘付けすることに成功した存在がいるとしたら、多分、こんな簡単な手品がこれほど成功したことに自分でも驚いているのではないだろうか。
この「国際金融システム」は、比喩ではなく、紛れもない立派な“ネズミ講”なのだ。
もしコンピュータグラフィックスで、システム内の物質的移動に伴う「貨幣」の流れを、透明なチューブの中の色水みたいに眺めることができたら、そこには常に、着実に、絶えず一元的中心に向かって流れ込む、一方向の微細な流れが透けて見えるはずだと思う。
もっとも、それが本当に“微細”かどうかは、一概には判断できない。少なくとも私たちのこの現有システムの場合は、地上の富の大半はその“微細”な流れで取り込まれてしまったのだから。(p120-121)
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好み:★★★
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(注:独断と偏見によるお薦め度、または記憶による感動度/ショック度。一押し、二押し、三押し、特薦。)
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