三つの状態
目覚め、夢見、眠りの三つの状態はすべて主観的で、個人的な私事(わたく
しごと)だ。
それらはみな意識の中の「私」と呼ばれる小さな泡の中に包まれ、そこで起
こることなのだ。
真実の世界は自己を超えた彼方にある。(p300)
小さな泡
目覚め、夢見、眠りの三つの状態はすべて主観的で、個人的な私事(わたく
しごと)だ。
それらはみな意識の中の「私」と呼ばれる小さな泡の中に包まれ、そこで起
こることなのだ。
真実の世界は自己を超えた彼方にある。(p300)
事実 と 想像
もちろん、事実は現実だ。
私はそれらの中に生きている。
しかし、あなたは事実ではなく、想像の中に生きているのだ。
事実はけっして衝突しない。
だが、あなたの人生と世界は矛盾で満ちている。(p300)
矛盾 と 偽物
事実はけっして衝突しない。
だが、あなたの人生と世界は矛盾で満ちている。
矛盾は偽物の証拠なのだ。
本物がそれ自体で矛盾することはない。
たとえば、あなたは人々が極端な貧困の中にいると苦情を訴えている。
それにもかかわらず、あなたの富を彼らに分け与えはしない。
あなたは近隣で起こっている戦争にはかまうが、どこか遠くの国で起こって
いる戦争のことは考えもしない。
あなたの気まぐれな自我が価値を決定し、「私は考える」「私は欲しい」
「私はしなければならない」といった移ろいやすい想念を絶対的なものにし
てしまうのだ。(p300)
悪 と 悪循環
悪はあなたの存在以上の現実ではない。
悪は誤解や誤用による問題への誤った対処法にある。
それは悪循環なのだ。
偽物の輪を壊す必要はない。
それをあるがままに、非存在として見るだけで充分なのだ。(p300)
悪を取り消す
あなたのつくり出した悪を取り消すことができるのは、あなただけだ。
あなたの無神経な利己主義がその根本なのだ。
まず、自分の家に秩序をもたらすことだ。
そうすれば、あなたはあなたの仕事を終えたことを知るだろう。(p301)
善 と 悪@
そこ(善と悪の間)には壁はない。
なぜなら、善も悪もありはしないからだ。
あらゆる実際の状況のなかで、あるのはただ必要なことと不必要なことだけ
だ。
必要なことは正しく、不必要なことは正しくないのだ。(p301)
必要 と 不必要
善も悪もありはしない。
あらゆる実際の状況のなかで、あるのはただ必要なことと不必要なことだけ
だ。
必要なことは正しく、不必要なことは正しくないのだ。(p301)
世界の問題
世界の問題は、それぞれが自分の欲望や恐れでいっぱいの、無数のあなたの
ような人々によってつくり出されているのだ。
あなたの個人的、社会的な過去から、誰があなたを解放できるというのだろ
うか?
そしてあなた自身が、幻想から生まれた欲望から自由になることへの切迫し
た必要性を見ないかぎり、どうやって世界の問題を解決するというのだろう
か?
あなた自身が助けを必要としているかぎり、どうしてあなたに本当の助けが
できるだろうか?(p301)
善
私の真実の世界では、善は広まっている。
私の世界では、あなたの呼ぶ悪も善の召使いであって、それゆえ必要なもの
なのだ。
それは吹き出物や熱が身体の不純物を取り除くようなものなのだ。
病気は苦しく危険でさえあるが、正しく対処すれば治るものだ。(p302)
成長 と 放棄
成長することが必要なことだ。
より成長することが必要なのだ。
良いことをより良いことのために放棄することは必要なことだ。(p302)
最終目的
最終目的ははじまりのなかにある。
あなたはあなたがはじめたところで終えるのだ――絶対なるもののなかで。(p302)
サットサン(聖者との交わり)B
(サットサン(聖者との交わり)は真我の実現のために充分か、というなら)
それは川まであなたを連れていくだろう。
しかし川を渡るのはあなた自身なのだ。
自由への意志なしには、自由を獲得することも維持することもできない。
解放に向かってあなたは努力しなければならない。
最小限あなたにできることは、入念に障害の覆いを取り除くだけだ。
もしあなたが平和を求めるのなら、努力しなければならない。
ただ静かにしているだけでは、平和は得られないだろう。(p303)
自由への意志
(サットサン(聖者との交わり)は真我の実現のために充分か、というなら)
それは川まであなたを連れていくだろう。
しかし川を渡るのはあなた自身なのだ。
自由への意志なしには、自由を獲得することも維持することもできない。
解放に向かってあなたは努力しなければならない。
最小限あなたにできることは、入念に障害の覆いを取り除くだけだ。
もしあなたが平和を求めるのなら、努力しなければならない。
ただ静かにしているだけでは、平和は得られないだろう。(p303)
想像から自由
(子供は完全な形で、無意識のうちに成長するではないか、というなら)
なぜなら、彼は想像から自由だからだ。
あなたもまたそのように成長することができる。
しかし、記憶や期待から生まれた予測や計画に熱中してはならないのだ。
未来に関心がないこと、それがジニャーニ(賢者)の独自性のひとつなのだ。
あなたの未来への関心は苦痛への恐れと、快楽への欲望によるものだ。
ジニャーニにとってはすべてが至福だ。
彼は何が来ようとも幸せなのだ。(p304)
未来に関心がない
(子供は完全な形で、無意識のうちに成長するではないか、というなら)
なぜなら、彼は想像から自由だからだ。
あなたもまたそのように成長することができる。
しかし、記憶や期待から生まれた予測や計画に熱中してはならないのだ。
未来に関心がないこと、それがジニャーニ(賢者)の独自性のひとつなのだ。
あなたの未来への関心は苦痛への恐れと、快楽への欲望によるものだ。
ジニャーニにとってはすべてが至福だ。
彼は何が来ようとも幸せなのだ。(p304)
ジニャーニ(賢者)の独自性
(子供は完全な形で、無意識のうちに成長するではないか、というなら)
なぜなら、彼は想像から自由だからだ。
あなたもまたそのように成長することができる。
しかし、記憶や期待から生まれた予測や計画に熱中してはならないのだ。
未来に関心がないこと、それがジニャーニ(賢者)の独自性のひとつなのだ。
あなたの未来への関心は苦痛への恐れと、快楽への欲望によるものだ。
ジニャーニにとってはすべてが至福だ。
彼は何が来ようとも幸せなのだ。(p304)
ジニャーニ と 困難
ジニャーニは困難に遭遇するかもしれない。
しかし、それが彼を苦しめることはない。
子供を誕生から成人まで育て上げることは困難な仕事かもしれない。
しかし、母親にとっては苦難の思い出も喜びなのだ。
世界には何の間違いもない。
誤りはあなたの見方にあるのだ。
あなたを惑わせるのは、あなた自身の想像だ。
想像なしには世界もない。
あなたが世界を意識しているという確信が世界なのだ。
あなたが知覚している世界は意識でできている。
あなたが物質と呼ぶものは意識そのものなのだ。
あなたは、そのなかで世界が動く空間(アーカーシュ)だ。
あなたは永遠に続く時間だ。
あなたはそれに生命を与える愛なのだ。(p304)
世界 と 想像
世界には何の間違いもない。
誤りはあなたの見方にあるのだ。
あなたを惑わせるのは、あなた自身の想像だ。
想像なしには世界もない。
あなたが世界を意識しているという確信が世界なのだ。
あなたが知覚している世界は意識でできている。
あなたが物質と呼ぶものは意識そのものなのだ。
あなたは、そのなかで世界が動く空間(アーカーシュ)だ。
あなたは永遠に続く時間だ。
あなたはそれに生命を与える愛なのだ。(p304)
想像 と 世界
世界には何の間違いもない。
誤りはあなたの見方にあるのだ。
あなたを惑わせるのは、あなた自身の想像だ。
想像なしには世界もない。
あなたが世界を意識しているという確信が世界なのだ。
あなたが知覚している世界は意識でできている。
あなたが物質と呼ぶものは意識そのものなのだ。
あなたは、そのなかで世界が動く空間(アーカーシュ)だ。
あなたは永遠に続く時間だ。
あなたはそれに生命を与える愛なのだ。(p304)
確信が世界
世界には何の間違いもない。
誤りはあなたの見方にあるのだ。
あなたを惑わせるのは、あなた自身の想像だ。
想像なしには世界もない。
あなたが世界を意識しているという確信が世界なのだ。
あなたが知覚している世界は意識でできている。
あなたが物質と呼ぶものは意識そのものなのだ。
あなたは、そのなかで世界が動く空間(アーカーシュ)だ。
あなたは永遠に続く時間だ。
あなたはそれに生命を与える愛なのだ。(p304)
世界 と 意識
世界には何の間違いもない。
誤りはあなたの見方にあるのだ。
あなたを惑わせるのは、あなた自身の想像だ。
想像なしには世界もない。
あなたが世界を意識しているという確信が世界なのだ。
あなたが知覚している世界は意識でできている。
あなたが物質と呼ぶものは意識そのものなのだ。
あなたは、そのなかで世界が動く空間(アーカーシュ)だ。
あなたは永遠に続く時間だ。
あなたはそれに生命を与える愛なのだ。(p304)
物質 と 意識
世界には何の間違いもない。
誤りはあなたの見方にあるのだ。
あなたを惑わせるのは、あなた自身の想像だ。
想像なしには世界もない。
あなたが世界を意識しているという確信が世界なのだ。
あなたが知覚している世界は意識でできている。
あなたが物質と呼ぶものは意識そのものなのだ。
あなたは、そのなかで世界が動く空間(アーカーシュ)だ。
あなたは永遠に続く時間だ。
あなたはそれに生命を与える愛なのだ。(p304)
意識 と 物質
あなたが知覚している世界は意識でできている。
あなたが物質と呼ぶものは意識そのものなのだ。
あなたは、そのなかで世界が動く空間(アーカーシュ)だ。
あなたは永遠に続く時間だ。
あなたはそれに生命を与える愛なのだ。(p304)
世界が動く空間(アーカーシュ)
世界には何の間違いもない。
誤りはあなたの見方にあるのだ。
あなたを惑わせるのは、あなた自身の想像だ。
想像なしには世界もない。
あなたが世界を意識しているという確信が世界なのだ。
あなたが知覚している世界は意識でできている。
あなたが物質と呼ぶものは意識そのものなのだ。
あなたは、そのなかで世界が動く空間(アーカーシュ)だ。
あなたは永遠に続く時間だ。
あなたはそれに生命を与える愛なのだ。(p304)
アーカーシュ(世界が動く空間)
世界には何の間違いもない。
誤りはあなたの見方にあるのだ。
あなたを惑わせるのは、あなた自身の想像だ。
想像なしには世界もない。
あなたが世界を意識しているという確信が世界なのだ。
あなたが知覚している世界は意識でできている。
あなたが物質と呼ぶものは意識そのものなのだ。
あなたは、そのなかで世界が動く空間(アーカーシュ)だ。
あなたは永遠に続く時間だ。
あなたはそれに生命を与える愛なのだ。(p304)
あるがままに見る
世界には何の間違いもない。
誤りはあなたの見方にあるのだ。
あなたを惑わせるのは、あなた自身の想像だ。
想像なしには世界もない。
あなたが世界を意識しているという確信が世界なのだ。
あなたが知覚している世界は意識でできている。
あなたが物質と呼ぶものは意識そのものなのだ。
あなたは、そのなかで世界が動く空間(アーカーシュ)だ。
あなたは永遠に続く時間だ。
あなたはそれに生命を与える愛なのだ。
想像と執着を切り落としなさい。
すると、何が残るだろうか?
(世界が残り、私が残ります)
そのとおりだ。
だが、あなたが欲望と恐れのスクリーンを通して見ず、あるがままに見ると
き、何と違うことだろう。(p304)
私の世界では
私の世界では、愛が唯一の法則だ。
私は愛を求めず、ただ与えるだけだ。
それが私の本性なのだ。(p304)
愛が唯一の法則
私の世界では、愛が唯一の法則だ。
私は愛を求めず、ただ与えるだけだ。
それが私の本性なのだ。(p304)
唯一の法則
私の世界では、愛が唯一の法則だ。
私は愛を求めず、ただ与えるだけだ。
それが私の本性なのだ。(p304)
私の本性
私の世界では、愛が唯一の法則だ。
私は愛を求めず、ただ与えるだけだ。
それが私の本性なのだ。(p304)
時間割
私の見るかぎり、礼拝や献歌に関しては、私が干渉する理由はない。
一般的な日課は、私がともに生活するようになった人びとや、話を聞きに来
る人たちの要望に応えたものだ。
彼らは働いている人たちで、多くの義務があり、時間の調整は彼らの都合に
合わせている。
いくつかの繰り返し過程は避けられない。
動物や植物でさえ、彼らの時間割をもっているのだ。(p304-305)
内なる支配者
(生命世界の秩序を守らせる内なる支配者がいるのか、というなら)
すべてはその本性にしたがって動くのだ。
どこに警察の必要があるだろう?
あらゆる行動は反応をつくり出し、それが行動を中立化させ、バランスを取
る。
すべては起こる。
だが、そこには絶え間ない取り消しがある。
そして最後には、あたかも何も起こらなかったかのようになるのだ。(p305)
警察の必要
(生命世界の法をしき、秩序を守らせる内なる支配者がいるのかというなら)
すべてはその本性にしたがって動くのだ。
どこに警察の必要があるだろう?
あらゆる行動は反応をつくり出し、それが行動を中立化させ、バランスを取
る。
すべては起こる。
だが、そこには絶え間ない取り消しがある。
そして最後には、あたかも何も起こらなかったかのようになるのだ。(p305)
行動を中立化
(生命世界の法をしき、秩序を守らせる内なる支配者がいるのかというなら)
すべてはその本性にしたがって動くのだ。
どこに警察の必要があるだろう?
あらゆる行動は反応をつくり出し、それが行動を中立化させ、バランスを取
る。
すべては起こる。
だが、そこには絶え間ない取り消しがある。
そして最後には、あたかも何も起こらなかったかのようになるのだ。(p305)
バランスを取る
(生命世界の法をしき、秩序を守らせる内なる支配者がいるのかというなら)
すべてはその本性にしたがって動くのだ。
どこに警察の必要があるだろう?
あらゆる行動は反応をつくり出し、それが行動を中立化させ、バランスを取
る。
すべては起こる。
だが、そこには絶え間ない取り消しがある。
そして最後には、あたかも何も起こらなかったかのようになるのだ。(p305)
すべては起こる
(生命世界の法をしき、秩序を守らせる内なる支配者がいるのかというなら)
すべてはその本性にしたがって動くのだ。
どこに警察の必要があるだろう?
あらゆる行動は反応をつくり出し、それが行動を中立化させ、バランスを取
る。
すべては起こる。
だが、そこには絶え間ない取り消しがある。
そして最後には、あたかも何も起こらなかったかのようになるのだ。(p305)
取り消し
(生命世界の法をしき、秩序を守らせる内なる支配者がいるのかというなら)
すべてはその本性にしたがって動くのだ。
どこに警察の必要があるだろう?
あらゆる行動は反応をつくり出し、それが行動を中立化させ、バランスを取
る。
すべては起こる。
だが、そこには絶え間ない取り消しがある。
そして最後には、あたかも何も起こらなかったかのようになるのだ。(p305)
何も起こらなかった
(生命世界の法をしき、秩序を守らせる内なる支配者がいるのかというなら)
すべてはその本性にしたがって動くのだ。
どこに警察の必要があるだろう?
あらゆる行動は反応をつくり出し、それが行動を中立化させ、バランスを取
る。
すべては起こる。
だが、そこには絶え間ない取り消しがある。
そして最後には、あたかも何も起こらなかったかのようになるのだ。(p305)
最終的な調和
(最終的な調和でなだめないでほしい。勘定は合っても、損失は私のものだ
というなら)
見ていなさい。
最後にあなたは支出を正当化するのに充分なだけの利益を得るかもしれない
のだ。(p305)
運命 と 偶然
(人生のあらゆる瞬間は予め決まっていて運命は変えられないと言う人も、
すべては純粋な偶然が決定すると説明する人もいる、というなら)
あなたの好きなように受け取るがいい。
人生のなかにひとつのパターンを判別することはできるだろうし、単なる偶
然の連鎖を見ることもできる。
説明とはマインドを喜ばせるためにあるのだ。
それらが真実である必要はない。
実在は定義不可能であり、描写不可能なものだ。(p305)
説明とは
(人生のあらゆる瞬間は予め決まっていて運命は変えられないという説明も
あれば、すべては純粋な偶然が決定するという説明もある、というなら)
あなたの好きなように受け取るがいい。
人生のなかにひとつのパターンを判別することはできるだろうし、単なる偶
然の連鎖を見ることもできる。
説明とはマインドを喜ばせるためにあるのだ。
それらが真実である必要はない。
実在は定義不可能であり、描写不可能なものだ。(p305)
客観的な世界
客観的な世界には構造があり、秩序を持ち、美しいものだ。
誰もそれを否定できない。
だが構造と様式は、そこに強制と拘束があることを暗示しているのだ。
私の世界は絶対的に自由だ。
そのなかのすべてが自己決定するのだ。
それゆえ、私はすべてがひとりでに起こると言い続けているのだ。
私の世界にも秩序はある。
しかし、それは外側から押しつけられたものではない。
それはその永遠性によって自発的に即座に起こるのだ。
完全性は未来にあるのではない。
それは今あるのだ。(p305-306)
構造 と 拘束
客観的な界には構造があり、秩序をもち、美しいものだ。
誰もそれを否定できない。
だが構造と様式は、そこに強制と拘束があることを暗示しているのだ。
私の世界は絶対的に自由だ。
そのなかのすべてが自己決定するのだ。
それゆえ、私はすべてがひとりでに起こると言いつづけているのだ。
私の世界にも秩序がある。
しかし、それは外側から押しつけられたものではない。
それはその永遠性によって自発的に即座に起こるのだ。
完全性は未来にあるのではない。
それは今在るのだ。(p305-306)
絶対的に自由
客観的な界には構造があり、秩序をもち、美しいものだ。
誰もそれを否定できない。
だが構造と様式は、そこに強制と拘束があることを暗示しているのだ。
私の世界は絶対的に自由だ。
そのなかのすべてが自己決定するのだ。
それゆえ、私はすべてがひとりでに起こると言いつづけているのだ。
私の世界にも秩序がある。
しかし、それは外側から押しつけられたものではない。
それはその永遠性によって自発的に即座に起こるのだ。
完全性は未来にあるのではない。
それは今在るのだ。(p305-306)
自己決定する
客観的な界には構造があり、秩序をもち、美しいものだ。
誰もそれを否定できない。
だが構造と様式は、そこに強制と拘束があることを暗示しているのだ。
私の世界は絶対的に自由だ。
そのなかのすべてが自己決定するのだ。
それゆえ、私はすべてがひとりでに起こると言いつづけているのだ。
私の世界にも秩序がある。
しかし、それは外側から押しつけられたものではない。
それはその永遠性によって自発的に即座に起こるのだ。
完全性は未来にあるのではない。
それは今在るのだ。(p305-306)
完全性は今在る
客観的な界には構造があり、秩序をもち、美しいものだ。
誰もそれを否定できない。
だが構造と様式は、そこに強制と拘束があることを暗示しているのだ。
私の世界は絶対的に自由だ。
そのなかのすべてが自己決定するのだ。
それゆえ、私はすべてがひとりでに起こると言いつづけているのだ。
私の世界にも秩序がある。
しかし、それは外側から押しつけられたものではない。
それはその永遠性によって自発的に即座に起こるのだ。
完全性は未来にあるのではない。
それは今在るのだ。(p305-306)
接点
(あなたの世界は私の世界に影響を与えるか、というなら)
今という一点においてだけだ。
それは一時的な存在、つかの間の実在の感覚をそれに与えるのだ。
完全な気づきのなかでその接点は確立される。
それには努力を要しない非自意識の注意力が必要なのだ。(p306)
注意 と マインド
(注意とはマインドの態度なのではないか、というなら)
そうだ。
マインドが実在を熱望しているとき、それは注意を与えるのだ。(p306)
世界 と 間違い
あなたの世界には何の間違いもない。
あなた自身がそれから分離していると考えることが無秩序を生みだす。
利己主義がすべての悪の源なのだ。(p306)
分離 と 無秩序
あなたの世界には何の間違いもない。
あなた自身がそれから分離していると考えることが無秩序を生みだす。
利己主義がすべての悪の源なのだ。(p306)
利己主義 と 悪
あなたの世界には何の間違いもない。
あなた自身がそれから分離していると考えることが無秩序を生みだす。
利己主義がすべての悪の源なのだ。(p306)
悪の源
あなたの世界には何の間違いもない。
あなた自身がそれから分離していると考えることが無秩序を生みだす。
利己主義がすべての悪の源なのだ。(p306)
生まれる前に
(生まれる前に内なる自己が人生を詳細にわたって決定するのか、それとも
完全に偶然のもので、遺伝と環境のなすがままなのか、というなら)
父親と母親を選択し、次の生をどのように生きるかを決定したと宣言する者
たちが知っているかもしれない。
私自身に関して言えば、私はけっして生まれてこなかったのだ。(p306)
父親と母親を選択
(生まれる前に内なる自己が人生を詳細にわたって決定するのか、それとも
完全に偶然のもので、遺伝と環境のなすがままなのか、というなら)
父親と母親を選択し、次の生をどのように生きるかを決定したと宣言する者
たちが知っているかもしれない。
私自身に関して言えば、私はけっして生まれてこなかったのだ。(p306)
次の生のために
私はけっして生まれてこなかったと言っているときに、私がどのような準備
を次の生のためにしてきたかといった質問を、どうしてするのだろうか?
あなたが想像を展開させることを許した瞬間、それはただちに宇宙を紡ぎだ
すのだ。
それはあなたが想像するようなものではまったくない。
そして、私はあなたの想像には拘束されないのだ。(p306)
想像 と 宇宙
私はけっして生まれてこなかったと言っているときに、私がどのような準備
を次の生のためにしてきたかといった質問を、どうしてするのだろうか?
あなたが想像を展開させることを許した瞬間、それはただちに宇宙を紡ぎだ
すのだ。
それはあなたが想像するようなものではまったくない。
そして、私はあなたの宇宙には拘束されないのだ。(p306)
想像があるだけ
そこには想像があるだけだ。
知性とエネルギーは、あなたの想像のなかですべて使い果たされてしまった。
あなたはまったく想像に夢中にさせられてしまったため、どれほど実在から
遠く離れてさまよい歩いたのかさえわからなくなってしまったのだ。
想像が豊かな創造力であることに疑いはない。
宇宙のなかの宇宙も、想像によって構築されているのだ。
それにもかかわらず、それらはみな空間と時間、過去と未来のなかにあり、
実際は存在しないのだ。(p306-307)
想像に夢中
そこには想像があるだけだ。
知性とエネルギーは、あなたの想像のなかですべて使い果たされてしまった。
あなたはまったく想像に夢中にさせられてしまったため、どれほど実在から
遠く離れてさまよい歩いたのかさえわからなくなってしまったのだ。
想像が豊かな創造力であることに疑いはない。
宇宙のなかの宇宙も、想像によって構築されているのだ。
それにもかかわらず、それらはみな空間と時間、過去と未来のなかにあり、
実際は存在しないのだ。(p306-307)
実在から遠く離れて
そこには想像があるだけだ。
知性とエネルギーは、あなたの想像のなかですべて使い果たされてしまった。
あなたはまったく想像に夢中にさせられてしまったため、どれほど実在から
遠く離れてさまよい歩いたのかさえわからなくなってしまったのだ。
想像が豊かな創造力であることに疑いはない。
宇宙のなかの宇宙も、想像によって構築されているのだ。
それにもかかわらず、それらはみな空間と時間、過去と未来のなかにあり、
実際は存在しないのだ。(p306-307)
グル と 抵抗
彼(グル)はけっしてあきらめない。
しかし、成功するためには、彼はあまり強い抵抗を受けてはならないのだ。
疑いや不服従は遅れを余儀なくしてしまう。
自信と従順さを与えることで、彼は弟子のなかに革新的な変化をもたらすこ
とができる。
グルの深い洞察と弟子の誠実さ、その両方が必要とされるのだ。(p307)
誠実さの欠如
彼女の状態がどのようなものであろうと、あなたの話のなかの少女は、人び
との誠実さの欠如に苦しんだのだ。
もっとも難しいのが知的な人びとだ。
彼らは多くを語るばかりで誠実ではないからだ。(p307)
知的な人びと
彼女の状態がどのようなものであろうと、あなたの話のなかの少女は、人び
との誠実さの欠如に苦しんだのだ。
もっとも難しいのが知的な人びとだ。
彼らは多くを語るばかりで誠実ではないからだ。(p307)
真我の実現B
あなたが真我の実現と呼ぶものは自然なことだ。
あなたの用意が調(ととの)ったとき、グルは待っている。
サーダナ(修練)は努力を要しないものだ。
あなたと師の関係性が正しいとき、あなたは成長する。
何よりも、彼を信頼することだ。
彼があなたを惑わすことはないのだ。(p307)
用意が調ったとき
あなたが真我の実現と呼ぶものは自然なことだ。
あなたの用意が調(ととの)ったとき、グルは待っている。
サーダナ(修練)は努力を要しないものだ。
あなたと師の関係性が正しいとき、あなたは成長する。
何よりも、彼を信頼することだ。
彼があなたを惑わすことはないのだ。(p307)
サーダナ と 努力
あなたが真我の実現と呼ぶものは自然なことだ。
あなたの用意が調(ととの)ったとき、グルは待っている。
サーダナ(修練)は努力を要しないものだ。
あなたと師の関係性が正しいとき、あなたは成長する。
何よりも、彼を信頼することだ。
彼があなたを惑わすことはないのだ。(p307)
努力を要しない
あなたが真我の実現と呼ぶものは自然なことだ。
あなたの用意が調(ととの)ったとき、グルは待っている。
サーダナ(修練)は努力を要しないものだ。
あなたと師の関係性が正しいとき、あなたは成長する。
何よりも、彼を信頼することだ。
彼があなたを惑わすことはないのだ。(p307)
グルから来るもの
ひとりの隠遁者(サンニャーシン)がグルから結婚するようにと言われた。
彼はそれに従い、苦渋を味わった。
しかし、彼の四人の子供たちは皆、マハーラーシュトラ州のもっとも偉大な
聖者や賢者となったのだ。
何であれあなたのグルから来るものは、喜びとともに受け取りなさい。
そうすれば、あなたは努力することなく完成へと成長するだろう。(p307-308)
必要
物質的なものは満足をもたらすために必要だ。
だが、私は私自身に満足しているのだ。
ほかに何が必要だというのだろう?
(空腹のときには食べ物が、病気のときには薬が必要だ、というなら)
空腹が食べ物を、病気が薬をもたらすのだ。
それはすべて自然の仕事だ。(p308)
私自身に満足
私のもっていない何を与えることができるというのだろうか?
物質的なものは満足をもたらすために必要だ。
だが、私は私自身に満足しているのだ。
ほかに何が必要だというのだろう?(p308)
自然の仕事
(空腹のときには食べ物が、病気のときには薬が必要だ、というなら)
空腹が食べ物を、病気が薬をもたらすのだ。
それはすべて自然の仕事だ。(p308)
サマーディ(三昧状態)
(どうすればサマーディ(三昧状態)に入れるのか、というなら)
もしあなたが正しい状態にいれば、何であれ見るものがあなたをサマーディ
に引き入れるだろう。
結局、サマーディは特別な状態ではないのだ。
マインドが強烈に興味を持っているとき、それは興味の対象とひとつになる。
見る者と見られるものは、見ることのなかでひとつとなり、聞く者と聞かれ
るものは、聞くことのなかでひとつとなり、愛する者と愛されるものは、愛
することのなかでひとつとなる。
あらゆる体験はサマーディの根底となるのだ。(p308)
サマーディ と 私
(あなたはつねにサマーディに在るのか、というなら)
もちろん、そうではない。
サマーディは、要するにマインドの状態なのだ。
私はすべての体験を超え、サマーディさえも超えている。
私は偉大な貪(むさぼ)り食う者、破壊者だ。
何であれ私が触れるものは虚空(アーカーシュ)のなかへと消え去るのだ。(p309)
私 と サマーディ
(あなたはつねにサマーディに在るのか、というなら)
もちろん、そうではない。
サマーディは、要するにマインドの状態なのだ。
私はすべての体験を超え、サマーディさえも超えている。
私は偉大な貪(むさぼ)り食う者、破壊者だ。
何であれ私が触れるものは虚空(アーカーシュ)のなかへと消え去るのだ。(p309)
貪(むさぼ)り食う者
私はすべての体験を超え、サマーディさえも超えている。
私は偉大な貪(むさぼ)り食う者、破壊者だ。
何であれ私が触れるものは虚空(アーカーシュ)のなかへと消え去るのだ。(p309)
破壊者A
私は偉大な貪(むさぼ)り食う者、破壊者だ。
何であれ私が触れるものは虚空(アーカーシュ)のなかへと消え去るのだ。(p309)
必要な真我実現のすべてを
あなたはあなたに必要な真我実現のすべてを手にしている。
だが、それを信頼していないのだ。
勇気を持ちなさい。
あなた自身を信頼しなさい。
行き、話し、行為しなさい。
それ自体が証明する機会を与えるがいい。
ほとんど気がつかないほどの真我の実現が起こるかもしれない。
だが、とにかくそれには確信が必要なのだ。
変わったにもかかわらず、それに気づかないでいる。
そのような劇的ではない場合のほうが、しばしば、もっとも信頼のおけるも
のなのだ。(p309)
信頼していない
あなたはあなたに必要な真我実現のすべてを手にしている。
だが、それを信頼していないのだ。
勇気を持ちなさい。
あなた自身を信頼しなさい。
行き、話し、行為しなさい。
それ自体が証明する機会を与えるがいい。
ほとんど気がつかないほどの真我の実現が起こるかもしれない。
だが、とにかくそれには確信が必要なのだ。
変わったにもかかわらず、それに気づかないでいる。
そのような劇的ではない場合のほうが、しばしば、もっとも信頼のおけるも
のなのだ。(p309)
証明する機会を
あなたはあなたに必要な真我実現のすべてを手にしている。
だが、それを信頼していないのだ。
勇気を持ちなさい。
あなた自身を信頼しなさい。
行き、話し、行為しなさい。
それ自体が証明する機会を与えるがいい。
ほとんど気がつかないほどの真我の実現が起こるかもしれない。
だが、とにかくそれには確信が必要なのだ。
変わったにもかかわらず、それに気づかないでいる。
そのような劇的ではない場合のほうが、しばしば、もっとも信頼のおけるも
のなのだ。(p309)
確信が必要
あなたはあなたに必要な真我実現のすべてを手にしている。
だが、それを信頼していないのだ。
勇気を持ちなさい。
あなた自身を信頼しなさい。
行き、話し、行為しなさい。
それ自体が証明する機会を与えるがいい。
ほとんど気がつかないほどの真我の実現が起こるかもしれない。
だが、とにかくそれには確信が必要なのだ。
変わったにもかかわらず、それに気づかないでいる。
そのような劇的ではない場合のほうが、しばしば、もっとも信頼のおけるも
のなのだ。(p309)
劇的ではない場合
あなたはあなたに必要な真我実現のすべてを手にしている。
だが、それを信頼していないのだ。
勇気を持ちなさい。
あなた自身を信頼しなさい。
行き、話し、行為しなさい。
それ自体が証明する機会を与えるがいい。
ほとんど気がつかないほどの真我の実現が起こるかもしれない。
だが、とにかくそれには確信が必要なのだ。
変わったにもかかわらず、それに気づかないでいる。
そのような劇的ではない場合のほうが、しばしば、もっとも信頼のおけるも
のなのだ。(p309)
誤解
(自分が真我を実現したと信じたり、誤解したりできるか、というなら)
もちろんだ。
「私は真我を実現した」という考えそのものが過ちだ。
自然な状態のなかには、「私はこれだ」、「私はあれだ」といった考えはな
いのだ。(p309)
バクタ(帰依者)
バクタ(帰依者)の多くは、すべてがうまくいっている間はグルを信頼する。
しかし、問題が起こると彼らは落ちこみ、ほかの師を探しに行くのだ。(p316)
生命を生きる人
ただ生命だけがある。
生命を生きる人は誰もいないのだ。(p316)
コントロール
あなたが計画を立てようと立てまいと、人生は続いていくのだ。
だがその人生において、マインドのなかに小さな渦巻きが現れる。
それは幻想にふけり、それ自体が人生を支配し、コントロールしていると想
像するのだ。(p316)
生命そのものは無欲
生命そのものは無欲だ。
だが、偽りの自己はそれが快く続いてほしい。
そのため、それはつねに自己の継続を守ることに没頭しているのだ。
生命は恐れず、自由だ。
あなたが出来事に影響を与えているという考えをもっているかぎり、解放は
あなたのものではない。
行為者という観念、自分が出来事の原因であるという観念自体が束縛なのだ。(p316)
行為者という観念
生命そのものは無欲だ。
だが、偽りの自己はそれが快く続いてほしい。
そのため、それはつねに自己の継続を守ることに没頭しているのだ。
生命は恐れず、自由だ。
あなたが出来事に影響を与えているという考えをもっているかぎり、解放は
あなたのものではない。
行為者という観念、自分が出来事の原因であるという観念自体が束縛なのだ。(p316)
出来事の原因A
生命そのものは無欲だ。
だが、偽りの自己はそれが快く続いてほしい。
そのため、それはつねに自己の継続を守ることに没頭しているのだ。
生命は恐れず、自由だ。
あなたが出来事に影響を与えているという考えをもっているかぎり、解放は
あなたのものではない。
行為者という観念、自分が出来事の原因であるという観念自体が束縛なのだ。(p316)
あなたの住む世界
すべては内側から現れ、あなたの住む世界があなたの上に投影されているの
ではなく、あなたによって投影されているとひとたび自覚すれば、恐れは終
焉(しゅうえん)するのだ。
この自覚なしに、あなたはあなた自身を外界の身体、マインド、社会、国家、
人類、そして神や至高なるものといったものとさえ同一化してしまう。
だが、それらはみな恐れからの逃避なのだ。
あなたが住む小さな世界の責任を完全に受け入れ、その創造、維持、破壊の
過程を見守るときにだけ、あなたはあなた自身の想像による束縛から自由に
なるのだ。(p316)
投影
すべては内側から現れ、あなたの住む世界があなたの上に投影されているの
ではなく、あなたによって投影されているとひとたび自覚すれば、恐れは終
焉(しゅうえん)するのだ。
この自覚なしに、あなたはあなた自身を外界の身体、マインド、社会、国家、
人類、そして神や至高なるものといったものとさえ同一化してしまう。
だが、それらはみな恐れからの逃避なのだ。
あなたが住む小さな世界の責任を完全に受け入れ、その創造、維持、破壊の
過程を見守るときにだけ、あなたはあなた自身の想像による束縛から自由に
なるのだ。(p316)
恐れは終焉する
(どうすれば為す者と為されることの二元性を克服できるか、というなら)
生命を無限で、分割不可能な、つねに存在し、つねに活動的なものとして黙
想しなさい。
あなたがそれとひとつであると悟るまで。
それは難しくなどない。
なぜなら、あなたはただ自分の自然な状態に戻るだけだからだ。
すべては内側から現れ、あなたの住む世界があなたの上に投影されているの
ではなく、あなたによって投影されているとひとたび自覚すれば、恐れは終
焉(しゅうえん)するのだ。
この自覚なしに、あなたはあなた自身を外界の身体、マインド、社会、国家、
人類、そして神や至高なるものといったものとさえ同一化してしまう。
だが、それらはみな恐れからの逃避なのだ。
あなたが住む小さな世界の責任を完全に受け入れ、その創造、維持、破壊の
過程を見守るときにだけ、あなたはあなた自身の想像による束縛から自由に
なるのだ。(p316)
恐れからの逃避
すべては内側から現れ、あなたの住む世界があなたの上に投影されているの
ではなく、あなたによって投影されているとひとたび自覚すれば、恐れは終
焉(しゅうえん)するのだ。
この自覚なしに、あなたはあなた自身を外界の身体、マインド、社会、国家、
人類、そして神や至高なるものといったものとさえ同一化してしまう。
だが、それらはみな恐れからの逃避なのだ。
あなたが住む小さな世界の責任を完全に受け入れ、その創造、維持、破壊の
過程を見守るときにだけ、あなたはあなた自身の想像による束縛から自由に
なるのだ。(p316)
注意が解放する
(どうして自分自身を不幸だと想像してしまうか、というなら)
ただの習慣からなのだ。
あなたの考え方や感じ方を変えなさい。
それらを再検討し、詳細に調べてみなさい。
あなたは不注意によって束縛される。
注意が解放するのだ。
あなたはあまりにも多くのことを当然のこととして受け取ってきた。
疑いはじめなさい。
もっとも明らかなことは、もっとも疑わしいのだ。
あなた自身にこのように問いかけてみるといい。
「私は本当に生まれたのだろうか?」「私とは本当にこれなのだろうか?」
「私が存在すると、どのようにして知るのだろうか?」「誰が私の親なのだ
ろうか?」「彼らが私を創造したのか、それとも私が彼らを創造したのだろ
うか?」「私自身に関して言われたことを、すべて信じなければならないの
だろうか?」「私とは誰なのか?」と。
あなたはあなた自身のための牢獄を築くことに、たいへんなエネルギーをつ
ぎこんできた。
今、それを破壊するためにできるかぎりを費やしなさい。
事実、破壊することはたやすい。
なぜなら、偽物は発見されたそのときに消え去るからだ。(p305)
牢獄を築くこと
あなたはあなた自身のための牢獄を築くことに、たいへんなエネルギーをつ
ぎこんできた。
今、それを破壊するためにできるかぎりを費やしなさい。
事実、破壊することはたやすい。
なぜなら、偽物は発見されたそのときに消え去るからだ。
すべては「私は在る」という想念にかかっている。
それを徹底的に調べるがいい。
それはあらゆる困難の根底に存在している。
それはあなたを実在から分かつ皮のようなものだ。
実在は皮の内側にも外側にもある。
しかし、皮そのものは実在ではないのだ。
この「私は在る」という想念はあなたとともに生まれてきたのではない。
あなたはそれなしでも充分申し分なく生きたことだろう。
それはあとになって、身体との自己同一化のために現れた。
それがありもしなかった分割という幻想をつくり出したのだ。
それがあなた自身の世界のなかで、あなたを異邦人にしてしまった。
そして世界を異質な、敵意あるものにしてしまったのだ。
「私は在る」という感覚なしでも人生は続いていく。
私たちにも「私は在る」という感覚のない平和で幸福なときはある。
「私は在る」が戻るとともに、困難がはじまるのだ。(p317)
困難の根底
あなたはあなた自身のための牢獄を築くことに、たいへんなエネルギーをつ
ぎこんできた。
今、それを破壊するためにできるかぎりを費やしなさい。
事実、破壊することはたやすい。
なぜなら、偽物は発見されたそのときに消え去るからだ。
すべては「私は在る」という想念にかかっている。
それを徹底的に調べるがいい。
それはあらゆる困難の根底に存在している。
それはあなたを実在から分かつ皮のようなものだ。
実在は皮の内側にも外側にもある。
しかし、皮そのものは実在ではないのだ。
この「私は在る」という想念はあなたとともに生まれてきたのではない。
あなたはそれなしでも充分申し分なく生きたことだろう。
それはあとになって、身体との自己同一化のために現れた。
それがありもしなかった分割という幻想をつくり出したのだ。
それがあなた自身の世界のなかで、あなたを異邦人にしてしまった。
そして世界を異質な、敵意あるものにしてしまったのだ。
「私は在る」という感覚なしでも人生は続いていく。
私たちにも「私は在る」という感覚のない平和で幸福なときはある。
「私は在る」が戻るとともに、困難がはじまるのだ。(p317)
分かつ皮
あなたはあなた自身のための牢獄を築くことに、たいへんなエネルギーをつ
ぎこんできた。
今、それを破壊するためにできるかぎりを費やしなさい。
事実、破壊することはたやすい。
なぜなら、偽物は発見されたそのときに消え去るからだ。
すべては「私は在る」という想念にかかっている。
それを徹底的に調べるがいい。
それはあらゆる困難の根底に存在している。
それはあなたを実在から分かつ皮のようなものだ。
実在は皮の内側にも外側にもある。
しかし、皮そのものは実在ではないのだ。
この「私は在る」という想念はあなたとともに生まれてきたのではない。
あなたはそれなしでも充分申し分なく生きたことだろう。
それはあとになって、身体との自己同一化のために現れた。
それがありもしなかった分割という幻想をつくり出したのだ。
それがあなた自身の世界のなかで、あなたを異邦人にしてしまった。
そして世界を異質な、敵意あるものにしてしまったのだ。
「私は在る」という感覚なしでも人生は続いていく。
私たちにも「私は在る」という感覚のない平和で幸福なときはある。
「私は在る」が戻るとともに、困難がはじまるのだ。(p317)
実在 と 皮
あなたはあなた自身のための牢獄を築くことに、たいへんなエネルギーをつ
ぎこんできた。
今、それを破壊するためにできるかぎりを費やしなさい。
事実、破壊することはたやすい。
なぜなら、偽物は発見されたそのときに消え去るからだ。
すべては「私は在る」という想念にかかっている。
それを徹底的に調べるがいい。
それはあらゆる困難の根底に存在している。
それはあなたを実在から分かつ皮のようなものだ。
実在は皮の内側にも外側にもある。
しかし、皮そのものは実在ではないのだ。
この「私は在る」という想念はあなたとともに生まれてきたのではない。
あなたはそれなしでも充分申し分なく生きたことだろう。
それはあとになって、身体との自己同一化のために現れた。
それがありもしなかった分割という幻想をつくり出したのだ。
それがあなた自身の世界のなかで、あなたを異邦人にしてしまった。
そして世界を異質な、敵意あるものにしてしまったのだ。
「私は在る」という感覚なしでも人生は続いていく。
私たちにも「私は在る」という感覚のない平和で幸福なときはある。
「私は在る」が戻るとともに、困難がはじまるのだ。(p317)
皮
あなたはあなた自身のための牢獄を築くことに、たいへんなエネルギーをつ
ぎこんできた。
今、それを破壊するためにできるかぎりを費やしなさい。
事実、破壊することはたやすい。
なぜなら、偽物は発見されたそのときに消え去るからだ。
すべては「私は在る」という想念にかかっている。
それを徹底的に調べるがいい。
それはあらゆる困難の根底に存在している。
それはあなたを実在から分かつ皮のようなものだ。
実在は皮の内側にも外側にもある。
しかし、皮そのものは実在ではないのだ。
この「私は在る」という想念はあなたとともに生まれてきたのではない。
あなたはそれなしでも充分申し分なく生きたことだろう。
それはあとになって、身体との自己同一化のために現れた。
それがありもしなかった分割という幻想をつくり出したのだ。
それがあなた自身の世界のなかで、あなたを異邦人にしてしまった。
そして世界を異質な、敵意あるものにしてしまったのだ。
「私は在る」という感覚なしでも人生は続いていく。
私たちにも「私は在る」という感覚のない平和で幸福なときはある。
「私は在る」が戻るとともに、困難がはじまるのだ。(p317)
自己同一化F
この「私は在る」という想念はあなたとともに生まれてきたのではない。
あなたはそれなしでも充分申し分なく生きたことだろう。
それはあとになって、身体との自己同一化のために現れた。
それがありもしなかった分割という幻想をつくり出したのだ。
それがあなた自身の世界のなかで、あなたを異邦人にしてしまった。
そして世界を異質な、敵意あるものにしてしまったのだ。(p317)
分割という幻想
この「私は在る」という想念はあなたとともに生まれてきたのではない。
あなたはそれなしでも充分申し分なく生きたことだろう。
それはあとになって、身体との自己同一化のために現れた。
それがありもしなかった分割という幻想をつくり出したのだ。
それがあなた自身の世界のなかで、あなたを異邦人にしてしまった。
そして世界を異質な、敵意あるものにしてしまったのだ。
「私は在る」という感覚なしでも人生は続いていく。
私たちにも「私は在る」という感覚のない平和で幸福なときはある。
「私は在る」が戻るとともに、困難がはじまるのだ。(p317)
異邦人
この「私は在る」という想念はあなたとともに生まれてきたのではない。
あなたはそれなしでも充分申し分なく生きたことだろう。
それはあとになって、身体との自己同一化のために現れた。
それがありもしなかった分割という幻想をつくり出したのだ。
それがあなた自身の世界のなかで、あなたを異邦人にしてしまった。
そして世界を異質な、敵意あるものにしてしまったのだ。
「私は在る」という感覚なしでも人生は続いていく。
私たちにも「私は在る」という感覚のない平和で幸福なときはある。
「私は在る」が戻るとともに、困難がはじまるのだ。(p317)
敵意あるもの
あなたはあなた自身のための牢獄を築くことに、たいへんなエネルギーをつ
ぎこんできた。
今、それを破壊するためにできるかぎりを費やしなさい。
事実、破壊することはたやすい。
なぜなら、偽物は発見されたそのときに消え去るからだ。
すべては「私は在る」という想念にかかっている。
それを徹底的に調べるがいい。
それはあらゆる困難の根底に存在している。
それはあなたを実在から分かつ皮のようなものだ。
実在は皮の内側にも外側にもある。
しかし、皮そのものは実在ではないのだ。
この「私は在る」という想念はあなたとともに生まれてきたのではない。
あなたはそれなしでも充分申し分なく生きたことだろう。
それはあとになって、身体との自己同一化のために現れた。
それがありもしなかった分割という幻想をつくり出したのだ。
それがあなた自身の世界のなかで、あなたを異邦人にしてしまった。
そして世界を異質な、敵意あるものにしてしまったのだ。
「私は在る」という感覚なしでも人生は続いていく。
私たちにも「私は在る」という感覚のない平和で幸福なときはある。
「私は在る」が戻るとともに、困難がはじまるのだ。(p317)
ヨーガ の 目的
もしあなたがそれから自由になりたいのなら「私」という感覚と向き合わな
ければならない。
あなたが明確にそれを見て完全に理解するまで、それが作用しているときや、
落ち着いているときを見守りなさい。
それがどのようにはじまり、どのように停止し、何を欲しがり、どのように
それを得るのかを見なさい。
結局、すべてのヨーガは、その源が何であれ、性質が何であれ、目的はただ
ひとつだ。
分離された存在という不幸から、広大な美しい絵の中の無意味な点としての
存在から、あなたを救い出すことにあるのだ。(p317-318)
強迫観念
あなたが苦しむのは、あなた自身を実在から疎外したからだ。
そして今、あなたはこの疎外感からの逃避を探し求めている。
あなた自身の強迫観念から逃げることはできない。
ただ、それを育むのをやめることができるだけだ。(p318)
「私は在る」は偽り
「私は在る」は偽りだからこそ、それは存続を願う。
実在は存続する必要がない――それ自身、破壊不可能なことを知っているか
らだ。
それは形態とその表現の破壊に無関心なのだ。
「私は在る」を強調し安定させようと、私たちはありとあらゆることをする
が――すべては無駄に終わってしまう。
なぜなら、「私は在る」は瞬間から瞬間へと再構築されていくものだからだ。
それは絶え間ない仕事なのだ。
そして唯一の革新的な解決法は、「私はあれであり、これである」という分
離した感覚を永遠に消し去ることだ。
存在は残る。
だが、自己存在ではない。(p318)
破壊不可能
「私は在る」は偽りだからこそ、それは存続を願う。
実在は存続する必要がない――それ自身、破壊不可能なことを知っているか
らだ。
それは形態とその表現の破壊に無関心なのだ。
「私は在る」を強調し安定させようと、私たちはありとあらゆることをする
が――すべては無駄に終わってしまう。
なぜなら、「私は在る」は瞬間から瞬間へと再構築されていくものだからだ。
それは絶え間ない仕事なのだ。
そして唯一の革新的な解決法は、「私はあれであり、これである」という分
離した感覚を永遠に消し去ることだ。
存在は残る。
だが、自己存在ではない。(p318)
霊的野心
(自分には霊的野心がある、というなら)
いかなる野心も霊的なものではありえない。
すべての野心は「私は在る」のためのものなのだ。
もしあなたが本当の進展を遂げたいのなら、すべての個人的な達成という考
えは、あきらめなければならない。
いわゆるヨーギの野心というものは、実にばかげたものだ。
男性の女性に対する欲望は、永遠の個人的な至福を渇望することに比べれば
純真なものだ。
マインドとは詐欺師なのだ。
より敬虔(けいけん)に見えるほど、裏切りはさらに悪いものとなるだろう。(p318)
助言が正しい
(どうすれば自分の助言が正しいものだと確信できるのか、というなら)
あなたがどの状態のなかにいるのか、どのレベルで話しているのかを見なさ
い。
もしあなたがマインドから話しているなら、間違っているかもしれない。
あなたの精神的習慣が停止しており、状況への完全な洞察から話しているの
ならば、あなたの助言は本物の返答かもしれない。
要点は、あなたも、あなたの前にいる人も、ともに単なる身体ではないと完
全に気づいていることだ。
もしあなたの気づきが明晰(めいせき)で完全ならば、間違いはありえない。(p318)
努力 と 得たもの
すべての努力はより多くの努力へと導く。
何であれ構築されたものは維持されなければならない。
何であれ得たものは、衰退や喪失から保護されなければならない。
何であれ失われるものは自己のものではないのだ。
そしてあなた自身のものでないなら、いったいあなたにとって何の役に立つ
というのだろう?
私の世界では、何も強要されることはない。
すべてはひとりでに起こるのだ。
すべての存在は時間と空間のなかにあり、限定され一時的なものだ。
私は「何が存在するか」や「誰が存在するか」には関心がない。
私の立場はその彼方に在る。
私はその両方であり、そのどちらでもないところに在るのだ。(p320)
同等の感覚
私にとっては皆が同等だ。
現れや表現のなかの違いはそこにあっても、それは問題ではないのだ。
金の装飾品の形が金そのものに影響を与えないように、人の本質も影響を受
けることはない。
この同等の感覚が欠乏しているならば、それはつまり、実在には触れられて
いなかったということだ。(p320)
私自身の体験
私自身の体験から知っていることだけをあなたに話そう。
私がグルに出会ったとき、彼は私に言ったのだ。
「あなたはあなたが自分自身だと見なしているものではない。あなたが何で
あるのかを見いだしなさい。『私は在る』という感覚を見守り、あなたの
真我を見いだしなさい」と。
私は彼に服従した。
なぜなら彼を信頼したからだ。
私は彼が言ったとおりにし、許すかぎりの時間を、沈黙のなかで自分自身を
見つめることに費やした。
そして、何という変化をもたらしたことか!
それもこんなに早く!
三年という短い時間で、私は真我を実現したのだ。
私がグルに会ったすぐ後、彼は死んでしまった。
だが、それは何の違いももたらさなかった。
私は彼が私に言ったことを、たゆまず覚えつづけていたのだ。
その成果は、私とともにここにある。(p320)
物質 と エネルギー
私たちは物質でもなくエネルギーでもない。
身体でもなくマインドでもない。
ひとたびあなたが自己の存在の一瞥を得るなら、私を理解するのは難しくな
いと知るだろう。(p321)
聞き伝え
私たちは聞き伝えでたくさんのことを信じてしまう。
遠くの土地や人びとのこと、神や女神のことなどを、ただそう聞いたという
だけで信じてしまうのだ。
同じように、私たちは自分自身について、両親や名前、地位や義務などにつ
いて話を聞いてきた。
一度もその真偽を確かめることなしに。
真実への道は虚偽の破壊を通っていくものだ。(p321)
遠くの土地
私たちは聞き伝えでたくさんのことを信じてしまう。
遠くの土地や人びとのこと、神や女神のことなどを、ただそう聞いたという
だけで信じてしまうのだ。
同じように、私たちは自分自身について、両親や名前、地位や義務などにつ
いて話を聞いてきた。
一度もその真偽を確かめることなしに。
真実への道は虚偽の破壊を通っていくものだ。(p321)
神や女神@
私たちは聞き伝えでたくさんのことを信じてしまう。
遠くの土地や人びとのこと、神や女神のことなどを、ただそう聞いたという
だけで信じてしまうのだ。
同じように、私たちは自分自身について、両親や名前、地位や義務などにつ
いて話を聞いてきた。
一度もその真偽を確かめることなしに。
真実への道は虚偽の破壊を通っていくものだ。(p321)
虚偽の破壊
真実への道は虚偽の破壊を通っていくものだ。
偽りを破壊するために、あなたはあなたのもっとも根深い確信を疑わなけれ
ばならない。
そのなかで、あなたが身体であるという確信が最悪のものなのだ。
身体とともに世界が現れ、世界とともに、世界を創造したと考えられている
神が現れる。
このようにして、恐れ、宗教、礼拝、捧げ物、あらゆる類(たぐい)の体系
がはじまるのだ。
すべては自らがつくり出した怪物に正気を失うほどおびえた幼稚な人間を保
護し、支持するためのものだ。
あなたは生まれることも、死ぬこともできないものだということを悟りなさ
い。
そうすれば恐れは去る。
すべての苦しみは終わるのだ。(p321)
最悪の確信
真実への道は虚偽の破壊を通っていくものだ。
偽りを破壊するために、あなたはあなたのもっとも根深い確信を疑わなけれ
ばならない。
そのなかで、あなたが身体であるという確信が最悪のものなのだ。
身体とともに世界が現れ、世界とともに、世界を創造したと考えられている
神が現れる。
このようにして、恐れ、宗教、礼拝、捧げ物、あらゆる類(たぐい)の体系
がはじまるのだ。
すべては自らがつくり出した怪物に正気を失うほどおびえた幼稚な人間を保
護し、支持するためのものだ。
あなたは生まれることも、死ぬこともできないものだということを悟りなさ
い。
そうすれば恐れは去る。
すべての苦しみは終わるのだ。(p321)
信頼 と 意志
グルの言葉を真実として受け入れ、日々の生活の細部にわたって自発的にそ
れによって生きるようになったそのときが、真我の実現の戸口に立ったとき
なのだ。
ある意味では、それは信頼による開放だ。
だが、その信頼は強烈で、持続しなければならない。
しかしながら、信頼そのものだけで充分だと考えてはならない。
信頼が行為のなかで表現されることが実現への手段なのだ。
それはあらゆる手段のなかで、もっとも効果のあるものだ。
信頼を否定し、論証のみを信じる教師もいる。
実際には、彼らが否定するのは信頼ではなく、盲信なのだ。
信頼は盲目的なものではない。
それは試みようとする意志なのだ。(p321-322)
観照 と 信頼
観照の態度もまた信頼なのだ。
それは自分自身への信頼だ。
あなたとはあなたが体験するものではないと信じ、すべてに距離をおいて見
ることだ。
観照に努力はいらない。
あなたはあなたがただの観照者なのだと理解し、その理解が働いていく。
それ以上何も必要ないのだ。
ただ、あなたが観照者だということを覚えていなさい。
もし観照の状態のなかで「私は誰か?」と自分自身に尋ねれば、その答えは
直ちにやってくる。
ただ、それは言葉ではなく、沈黙のものだ。(p322)
気づき と 実在
あなたが実在―非実在という言葉で論じるかぎりは、唯一実在でありうるの
は気づきだけだ。
だが、至高なるものはすべての区別を超えているため、それに「実在」とい
う言葉は適用しない。
なぜなら、そのなかではすべてが実在だからだ。
それゆえ、そのように名づけられる必要もない。
それは実在の源そのものだ。
それは、何であれそれが触れたものに実在性を分け与えるのだ。(p322)
神や女神A
何であれ、宇宙のなかに真実で、高尚な、美しいものがあれば、それはすべ
てあなたから現れたのだと自覚しなさい。
あなた自身がその源なのだ。
世界を指揮する神や女神は、もっとも素晴らしい荘厳な存在かもしれない。
それでも彼らは、彼らの主人の富と力を宣伝する、豪華に着飾った召使いの
ようなものなのだ。(p323)
より低い欲望
(どのようにして人は至高なるものに到達するのか、というなら)
すべてのより低い欲望を放棄することによってだ。
より低い欲望に満足するかぎり、最高のものを手にすることはできない。
何であれ満足させるものが、あなたを引き止めるのだ。
すべてのものの不満足さ、はかなさ、限界を悟らないかぎり、そしてすべて
のエネルギーを多大なる熱望に集めないかぎり、最初の一歩さえも踏めない。
その反対に、至高なるものへの誠実な欲望は、それ自体至高なるものからの
招きなのだ。
身体的、精神的な何もあなたに自由を与えてはくれない。
ひとたび束縛はあなたが創りだしているということを理解し、あなたを拘束
する鎖を鋳造することを止めれば、あなたは自由なのだ。(p323)
満足 と 拘束
より低い欲望に満足するかぎり、最高のものを手にすることはできない。
何であれ満足させるものが、あなたを引き止めるのだ。
すべてのものの不満足さ、はかなさ、限界を悟らないかぎり、そしてすべて
のエネルギーを多大なる熱望に集めないかぎり、最初の一歩さえも踏めない。
その反対に、至高なるものへの誠実な欲望は、それ自体至高なるものからの
招きなのだ。
身体的、精神的な何もあなたに自由を与えてはくれない。
ひとたび束縛はあなたが創りだしているということを理解し、あなたを拘束
する鎖を鋳造することを止めれば、あなたは自由なのだ。(p323)
束縛
何であれ満足させるものが、あなたを引き止めるのだ。
すべてのものの不満足さ、はかなさ、限界を悟らないかぎり、そしてすべて
のエネルギーを多大なる熱望に集めないかぎり、最初の一歩さえも踏めない。
その反対に、至高なるものへの誠実な欲望は、それ自体至高なるものからの
招きなのだ。
身体的、精神的な何もあなたに自由を与えてはくれない。
ひとたび束縛はあなたが創りだしているということを理解し、あなたを拘束
する鎖を鋳造することを止めれば、あなたは自由なのだ。(p323)
クリシュナムルティ
(クリシュナムルティがグルは必要ないと言っている、というなら)
誰かが至高の実在と、それへの道について語らなければならないのだ。
クリシュナムルティがしていることは、ほかの何ものでもない。
ある意味では、彼は正しい。
ほとんどのいわゆる弟子たちは、彼らのグルを信頼していないのだ。
彼らはグルにそむき、グルを放棄してしまう。
そのような弟子たちにとっては、グルを持たない方が、そして導きを得るた
めに、ただ内面を見ることのほうがどれだけ良かったか知れないのだ。
生きたグルを見いだすことは稀少な機会であり、大いなる責任でもある。
これらのことを軽く扱ってはならないのだ。
あなたたちは天国を買おうとやっきになって、値段の額を支払えばグルがそ
れを与えてくれると想像している。
わずかばかりを捧げて、多くを要求する売買契約を求めているのだ。
あなたが騙しているのは、ほかでもないあなた自身なのだ。(p323-324)
生きたグル
(クリシュナムルティがグルは必要ないと言っている、というなら)
誰かが至高の実在と、それへの道について語らなければならないのだ。
クリシュナムルティがしていることは、ほかの何ものでもない。
ある意味では、彼は正しい。
ほとんどのいわゆる弟子たちは、彼らのグルを信頼していないのだ。
彼らはグルにそむき、グルを放棄してしまう。
そのような弟子たちにとっては、グルを持たない方が、そして導きを得るた
めに、ただ内面を見ることのほうがどれだけ良かったか知れないのだ。
生きたグルを見いだすことは稀少な機会であり、大いなる責任でもある。
これらのことを軽く扱ってはならないのだ。
あなたたちは天国を買おうとやっきになって、値段の額を支払えばグルがそ
れを与えてくれると想像している。
わずかばかりを捧げて、多くを要求する売買契約を求めているのだ。
あなたが騙しているのは、ほかでもないあなた自身なのだ。(p323-324)
サットサン@
あなたの不信は問題ではないのだ。
私の言葉は真実であり、それはその仕事をする。
これがサットサン、聖者との交わりの美しさなのだ。(p324)
聖者との交わり
あなたの不信は問題ではないのだ。
私の言葉は真実であり、それはその仕事をする。
これがサットサン、聖者との交わりの美しさなのだ。(p324)
生命の川
生命の川は流れている。
その水のいくらかはここにある。
だが、大変な量の水がすでに目的地に到達しているのだ。
あなたは現在しか見ていない。
私は遙か彼方の過去と未来を、あなたが何であるか、そしてあなたが何にな
ることができるのかを見ているのだ。
私には、あなたを私自身としてしか見ることができない。
違いを見ないこと、それが愛の本質なのだ。(p324)
闇と沈黙の中で
災いをもたらすのは「私は身体だ」という想念なのだ。
それはあなたを真実の本性に対して、完全に盲目にしてしまう。
ほんの一瞬でさえ、自分が身体だと考えてはならない。
あなた自身にいかなる名前も形も与えてはならない。
実在は闇と沈黙の中で見いだされるのだ。(p324)
行為 と 確信
あたかも完全に得心したかのようにふるまいなさい。
そうすれば、(自分が身体ではないという)確信はやってくるだろう。
単なる言葉が何の役に立つというのだろう?
マントラや精神的パターンは助けにならないだろう。
しかし非利己的な行為、身体の関心事とその利益のすべてから自由になった
行為が、あなたを実在の確信そのものに連れていくだろう。(p324)
愛 と 勇気
愛があなたに勇気を与えるだろう。
あなたが誰か本当に賞賛すべき、愛するに足る崇高な人に出会ったなら、あ
なたの愛と敬慕が、あなたに高尚にふるまおうという衝動を与えてくれるだ
ろう。(p325)
快楽 と 苦痛B
快楽と苦痛自体が悟りをもたらすことはない。
ただ理解だけがそれをもたらすのだ。
ひとたびあなたが世界は苦しみで満ち、生まれてくること自体が災いだとい
う真実を把握すれば、それを超えていこうとする衝動とエネルギーを見いだ
すだろう。
快楽はあなたを眠らせ、苦痛は目覚めさせる。
至福を通してだけではあなた自身を知ることはできない。
あなたの本性そのものが至福だからだ。
悟りを得るためには、あなたではないもの、対極と向き合わなければならな
いのだ。(p325)
苦痛 と 目覚め
快楽と苦痛自体が悟りをもたらすことはない。
ただ理解だけがそれをもたらすのだ。
ひとたびあなたが世界は苦しみで満ち、生まれてくること自体が災いだとい
う真実を把握すれば、それを超えていこうとする衝動とエネルギーを見いだ
すだろう。
快楽はあなたを眠らせ、苦痛は目覚めさせる。
至福を通してだけではあなた自身を知ることはできない。
あなたの本性そのものが至福だからだ。
悟りを得るためには、あなたではないもの、対極と向き合わなければならな
いのだ。(p325)
理解 と 悟り
快楽と苦痛自体が悟りをもたらすことはない。
ただ理解だけがそれをもたらすのだ。
ひとたびあなたが世界は苦しみで満ち、生まれてくること自体が災いだとい
う真実を把握すれば、それを超えていこうとする衝動とエネルギーを見いだ
すだろう。
快楽はあなたを眠らせ、苦痛は目覚めさせる。
至福を通してだけではあなた自身を知ることはできない。
あなたの本性そのものが至福だからだ。
悟りを得るためには、あなたではないもの、対極と向き合わなければならな
いのだ。(p325)
アイデンティティの感覚@
マインドは断続的なものだ。
眠りや気絶や精神錯乱したとき、何度もそれは空白状態となる。
そこにはその断続性を継続的に記録する何かがあるはずだ。
記憶はつねに部分的であてにならず、つかの間のものだ。
それは「私は在る」という感覚である、意識に浸透した強力なアイデンティ
ティの感覚を説明はしない。
その根底にあるものが何なのかを見いだしなさい。(p326)
超えていく
マインドでもって見ているかぎり、それを超えていくことはできない。
彼方へと超えていくには、マインドとその内容から目を離さなければならな
いのだ。(p326)
すべての方向
すべての方向はマインドのなかにあるのだ!
私はあなたに特定の方向を見るように言っているのではない。
ただ、あなたのマインドのなかで起こっていることのすべてから目を離し、
「私は在る」という感覚にそれを合わせなさい。
「私は在る」は方向ではない。
それはすべての方向を否定したものだ。
最後には「私は在る」さえも去らなければならない。
なぜなら、明白なことをいつまでも主張しつづける必要はないからだ。
「私は在る」にマインドを合わせることは、単にマインドをほかのすべてか
らそむけることなのだ。(p326)
よそごと
マインドがよそごとに気を取られることから目を離されたとき、それは静か
になる。
もしこの静けさを妨げず、そこにとどまるなら、あなたはそれが見たことも
ない光と愛にあふれていることを知るだろう。
しかも、あなたはそれをあなた自身の本性だとすぐに認識するのだ。
ひとたびこの体験を通ったならば、あなたは二度と同じ人ではなくなるだろ
う。
気ままなマインドはその平和を破り、ヴィジョンを消し去ってしまうかもし
れない。
だが、すべての束縛が破れ、迷いや執着が終わるまで努力を続ければ、それ
はかならず戻ってくる。
そして人生は最高に、今この瞬間に集中したものとなるのだ。(p327)
静けさを妨げず
マインドがよそごとに気を取られることから目を離されたとき、それは静か
になる。
になる。
もしこの静けさを妨げず、そこにとどまるなら、あなたはそれが見たことも
ない光と愛にあふれていることを知るだろう。
しかも、あなたはそれをあなた自身の本性だとすぐに認識するのだ。
ひとたびこの体験を通ったならば、あなたは二度と同じ人ではなくなるだろ
う。
気ままなマインドはその平和を破り、ヴィジョンを消し去ってしまうかもし
れない。
だが、すべての束縛が破れ、迷いや執着が終わるまで努力を続ければ、それ
はかならず戻ってくる。
そして人生は最高に、今この瞬間に集中したものとなるのだ。(p327)
二つの身体
あなた自身の小さな身体もまた、神秘と危険に満ちているのだ。
それでも、あなたはそれを恐れはしない。
あなたがそれをあなた自身のものと見なしているからだ。
あなたが知らないのは、この宇宙全体があなたの身体であり、それを恐れる
必要はないということだ。
あなたは個人的と宇宙的な二つの身体をもっていると言ってもいい。
個人的身体は来ては去っていく。
宇宙的身体はいつもあなたとともにある。
創造全体があなたの宇宙的身体なのだ。
あなたは個人的身体に盲目的になり、宇宙的身体を見ていない。
この盲目がひとりでに終わることはない。
それは巧みに、熟考した上で取り消さなければならないのだ。
すべての幻想が理解され、放棄されたとき、あなたは個人的と宇宙的の間の
区別がすべてなくなった、過ちのない、完全な状態に到達するのだ。(p327)
宇宙的身体
あなた自身の小さな身体もまた、神秘と危険に満ちているのだ。
それでも、あなたはそれを恐れはしない。
あなたがそれをあなた自身のものと見なしているからだ。
あなたが知らないのは、この宇宙全体があなたの身体であり、それを恐れる
必要はないということだ。
あなたは個人的と宇宙的な二つの身体をもっていると言ってもいい。
個人的身体は来ては去っていく。
宇宙的身体はいつもあなたとともにある。
創造全体があなたの宇宙的身体なのだ。
あなたは個人的身体に盲目的になり、宇宙的身体を見ていない。
この盲目がひとりでに終わることはない。
それは巧みに、熟考した上で取り消さなければならないのだ。
すべての幻想が理解され、放棄されたとき、あなたは個人的と宇宙的の間の
区別がすべてなくなった、過ちのない、完全な状態に到達するのだ。(p327)
生命の大海@
あなたが真の本性の探求へと深く入って行くにしたがって、小さいのはあな
たの身体であり、短いのはあなたの記憶であって、広大な生命の大海があな
たのものであることを発見するだろう。(p327)
宇宙的個人
(「私」と「宇宙」が)同一であるという感覚は普遍的に浸透しているのだ。
探求しなさい。
そうすれば、あなたはあなた自身であり、かぎりなくそれ以上である宇宙的
個人を発見することだろう。
とにかく、まず世界はあなたのなかにあり、あなたが世界のなかにいるので
はないということを自覚することからはじめなさい。(p328)
個人的身体
あなたの個人的身体は一部分であり、その中に全体が不思議にも反映されて
いるのだ。
しかし、あなたは宇宙的身体もまたもっている。
それを知らないとさえ言えないのだ。
なぜなら、あなたはつねにそれを見て、体験しているからだ。
ただ、それを「世界」と呼び、恐れているだけなのだ。
あなたの小さな身体は、あなたの知らない神秘と不思議で満ちている。
そこでもまた、科学があなたの唯一のガイドだ。
解剖学と天文学がそれらを説明するだろう。(p328)
両方の身体
あなたが両方の身体に宿ることを知ることで、あなたはすべてを所有するこ
とになるのだ。
宇宙のすべてがあなたの関心事となり、すべての生きるものたちをあなたは
もっとも優しく賢明に愛するようになるだろう。
あなたと他者との間には利益の衝突がなくなるだろう。
すべての搾取(さくしゅ)は絶対的に消えるだろう。
あなたのあらゆる行動は恩恵となり、あらゆる瞬間は祝福となるだろう。(p328)
二つの道@
あなたには二つの道がある。
真我を実現するために、あなたのマインドとハートを捧げること、あるいは
私の言葉を信頼して受け入れ、それにしたがって行動することだ。
あなたは自己に対して完全に利己的になるか、完全に非利己的になるかのど
ちらかだ。
「完全に」という言葉、それが重要なのだ。
至高なるものに到達するためには、あなたは極端にならなければならない。(p328)
極端に
あなたには二つの道がある。
真我を実現するために、あなたのマインドとハートを捧げること、あるいは
私の言葉を信頼して受け入れ、それにしたがって行動することだ。
あなたは自己に対して完全に利己的になるか、完全に非利己的になるかのど
ちらかだ。
「完全に」という言葉、それが重要なのだ。
至高なるものに到達するためには、あなたは極端にならなければならない。(p328)
意識の大洋
あなた自身が、そのなかですべてが起こる意識の大洋なのだと認識しなさい。
それは難しいことではない。
わずかな注意力と自己への緊密な観察で、あなたはどのような出来事も意識
の外側で起こっているのではないことを知るだろう。(p329)
外側 と 内側
あなたの身体でさえあなたの意識内に現れることのない出来事でいっぱいな
のだ。
これが、あなたの身体をあなたのものだと宣言することを妨げはしないだろ
う。
あなたはあなたの感覚を通して自分の身体を知るように、世界を正確に知っ
ているのだ。
あなたの皮膚から外側の世界と内側の世界を分割し対立させたのは、あなた
のマインドだ。
これが恐れと、憎しみと、生きることすべての惨めさを生み出したのだ。(p329)
ただ在るという体験
意識を超えたところには、いかなる体験もありえない。
それでも、そこにはただ在るという体験がある。
そこには無意識ではなく、意識を超えた彼方の状態があるのだ。
ある人たちはそれを超意識、純粋意識、あるいは至高の意識と呼んでいる。
それは主体と客体の関係から自由な、純粋な覚醒なのだ。(p329)
純粋な覚醒
意識を超えたところには、いかなる体験もありえない。
それでも、そこにはただ在るという体験がある。
そこには無意識ではなく、意識を超えた彼方の状態があるのだ。
ある人たちはそれを超意識、純粋意識、あるいは至高の意識と呼んでいる。
それは主体と客体の関係から自由な、純粋な覚醒なのだ。(p329)
アイデンティティC
意識は隙間だらけの断続的なものだ。
それにもかかわらず、そこには継続するアイデンティティがある。
もしこのアイデンティティの感覚が意識を超えた何かでなければ、いったい
何によるというのだろう。(p329)
変える必要
何かを変える必要がどこにあるというのだろう?
いずれにせよ、マインドはつねに変化しているのだ。
あなたのマインドを冷静に見てみなさい。
マインドを平静にするにはこれで充分だ。
静かになると、あなたはマインドの彼方へと行くことができる。(p329-330)
静かになると
あなたのマインドを冷静に見てみなさい。
マインドを平静にするにはこれで充分だ。
静かになると、あなたはマインドの彼方へと行くことができる。
いつもマインドをせわしなくさせていてはいけない。
それをやめ、ただ在りなさい。
もしあなたがマインドに休息を与えたなら、それは落ち着き、その純粋さと
力強さを回復するだろう。
絶え間なく考えることはマインドを衰退させてしまうのだ。(p330)
マインドの彼方
何かを変える必要がどこにあるというのだろう?
いずれにせよ、マインドはつねに変化しているのだ。
あなたのマインドを冷静に見てみなさい。
マインドを平静にするにはこれで充分だ。
静かになると、あなたはマインドの彼方へと行くことができる。(p330)
せわしなく
いつもマインドをせわしなくさせていてはいけない。
それをやめ、ただ在りなさい。
もしあなたがマインドに休息を与えたなら、それは落ち着き、その純粋さと
力強さを回復するだろう。
絶え間なく考えることはマインドを衰退させてしまうのだ。(p330)
ただ在りなさい@
いつもマインドをせわしなくさせていてはいけない。
それをやめ、ただ在りなさい。
もしあなたがマインドに休息を与えたなら、それは落ち着き、その純粋さと
力強さを回復するだろう。
絶え間なく考えることはマインドを衰退させてしまうのだ。(p330)
マインドに休息を
いつもマインドをせわしなくさせていてはいけない。
それをやめ、ただ在りなさい。
もしあなたがマインドに休息を与えたなら、それは落ち着き、その純粋さと
力強さを回復するだろう。
絶え間なく考えることはマインドを衰退させてしまうのだ。(p330)
マインドは粗雑
(どうしてあなたがあなたの真実の存在を知らないのかというなら……)
なぜなら、それは非常に微妙なものであり、あなたのマインドは粗雑なもの
だからだ。
あなたのマインドを静め、明瞭にしなさい。
そうすれば、あなたはあるがままの自分自身を知るだろう。(p330)
マインドを静め
(どうしてあなたがあなたの真実の存在を知らないのかというなら……)
なぜなら、それは非常に微妙なものであり、あなたのマインドは粗雑なもの
だからだ。
あなたのマインドを静め、明瞭にしなさい。
そうすれば、あなたはあるがままの自分自身を知るだろう。(p330)
マインドで知る
あなたはマインドを超えている。
だが、あなたはマインドで知るのだ。
知識の範囲、深さ、性質は、あなたがどのような手段を使うかに依存すると
いうことは明らかだ。
あなたの手段を改善しなさい。
そうすれば、あなたの知識も改善されるだろう。(p330)
静かなマインド@
あなたに必要なのは、静かなマインドだ。
ひとたびあなたのマインドが静かになれば、ほかのすべてはしかるべく起こ
るだろう。
日の出が世界を活動的にするように、自己覚醒はマインドのなかに変化を与
えるのだ。
平静で安定した自己覚醒の光のなかで、内なるエネルギーは目覚め、あなた
の努力なしに奇跡をもたらすのだ。(p330)
最も偉大な仕事
(最も偉大な仕事は、仕事をしないことによってなされるのかと言うなら)
まさにそのとおりだ。
あなたは悟りを得るように運命づけられているのだということを理解しなさ
い。
あなたの運命に協力しなさい。
それに抗ってはいけない。
それを妨げてはいけない。
それが運命を全(まっと)うするのを許しなさい。
愚かなマインドがつくり出した障害に注意を払うこと、それがあなたのする
べきすべてなのだ。(p330)
運命づけられている
(最も偉大な仕事は、仕事をしないことによってなされるのかと言うなら)
まさにそのとおりだ。
あなたは悟りを得るように運命づけられているのだということを理解しなさ
い。
あなたの運命に協力しなさい。
それに抗ってはいけない。
それを妨げてはいけない。
それが運命を全(まっと)うするのを許しなさい。
愚かなマインドがつくり出した障害に注意を払うこと、それがあなたのする
べきすべてなのだ。(p330)
障害に注意を払う
あなたは悟りを得るように運命づけられているのだということを理解しなさ
い。
あなたの運命に協力しなさい。
それに抗ってはいけない。
それを妨げてはいけない。
それが運命を全(まっと)うするのを許しなさい。
愚かなマインドがつくり出した障害に注意を払うこと、それがあなたのする
べきすべてなのだ。(p330)
「私は在る」E
「私は在る」のなかで、あなたが「私」と見なしているものは、あなたでは
ないのだ。
あなたが在ることを知っているのは自然なことであり、あなたが何なのかを
知ることは多くの探求の結果なのだ。
あなたは意識界全体を探査しなければならない。
このためには、正しい師を見いだし、発見に必要な条件をつくり出さなけれ
ばならないのだ。(p331)
二つの道A
「私は在る」のなかで、あなたが「私」と見なしているものは、あなたでは
ないのだ。
あなたが在ることを知っているのは自然なことであり、あなたが何なのかを
知ることは多くの探求の結果なのだ。
あなたは意識界全体を探査しなければならない。
このためには、正しい師を見いだし、発見に必要な条件をつくり出さなけれ
ばならないのだ。
一般的には二つの道がある。
外的なものと内的なものだ。
あなたは真理を知る誰かとともに生き、彼の導きにあなた自身を完全に服従
させ、彼の影響のもとにマインドを形づくるか、あるいは内なる導きを探し
だし、それがどこへあなたを導こうと、内なる光にしたがうことだ。
どちらの場合も、あなたの個人的な欲望や恐れを顧みてはならない。
あなたは師と近接していること、あるいは探求することのどちらか、受動的、
あるいは能動的な道のどちらかで学ぶのだ。
生命の川とグルの愛によって、あなた自身が運ばれていくことを許すか、あ
るいはあなたの内なる星に導きを受け、自らの努力を重ねていくかのどちら
かだ。
どちらの場合もあなたは進んでいかなければならない。
そして真剣でなければならない。
愛し、信頼するに足る誰かを見つける幸運な人はまれなのだ。
ほとんどの人が厳しい道を行かなければならない。
知性と理解、洞察と無執着(ヴィヴェーカ―ヴァイラーギャ)の道だ。
これはすべての人たちに開かれている。(p331)
真実を見いだしたい
ひとたびあなたが「真実を見いだしたい」と言ったなら、全人生はそれに深
く影響を受けることになるのだ。
あなたのすべての精神的、身体的習慣、感情と感覚、欲望と恐れ、計画と決
定はもっとも革新的な変容を通り抜けることだろう。(p332)
決定要因
(ひとたび真実を見いだす決心をしたら次は何をするべきか、というなら)
それはあなたの気質によるのだ。
もしあなたが真剣ならば、選んだ道がどれであれ、あなたを目的地へと連れ
ていくだろう。
真剣さ、それが決定要因なのだ。(p332)
真剣さの源
(真剣さの源は何か、というなら)
鳥を巣に帰らせ、魚を生まれた川へと帰り着かせる帰巣本能だ。
果実が成熟したとき、種子は大地に返る。
成熟がすべてなのだ。(p332)
成熟がすべて
(真剣さの源は何か、というなら)
鳥を巣に帰らせ、魚を生まれた川へと帰り着かせる帰巣本能だ。
果実が成熟したとき、種子は大地に返る。
成熟がすべてなのだ。(p332)
体験を超えて
(何が人を成熟させるのか、体験が必要なのか、というなら)
あなたはすでに必要な体験をすべて得ている。
そうでなければここには来なかっただろう。
これ以上体験を積む必要はない。
むしろ体験を超えていかなければならないのだ。
あなたがいかなる努力をし、いかなる修練(サーダナ)にしたがおうとも、
それは単により多くの体験を重ねるだけで、それを超えてはいかない。
本を読むこともまた、あなたを助けはしないだろう。
それらはあなたのマインドを豊かにはするだろう。
だが、個人であるあなたは影響を受けないままだ。
もし探求から物質的、精神的、霊的な何らかの恩恵を期待するなら、あなた
は要点をはずしているのだ。
真理はいかなる利点もあなたに与えない。
それはあなたにより高い地位も、他者に対するいかなる権力も与えはしない。
あなたが得るのは真理、そして偽りからの自由だけなのだ。(p332)
本を読むこと
これ以上体験を積む必要はない。
むしろ体験を超えていかなければならないのだ。
あなたがいかなる努力をし、いかなる修練(サーダナ)にしたがおうとも、
それは単により多くの体験を重ねるだけで、それを超えてはいかない。
本を読むこともまた、あなたを助けはしないだろう。
それらはあなたのマインドを豊かにはするだろう。
だが、個人であるあなたは影響を受けないままだ。
もし探求から物質的、精神的、霊的な何らかの恩恵を期待するなら、あなた
は要点をはずしているのだ。
真理はいかなる利点もあなたに与えない。
それはあなたにより高い地位も、他者に対するいかなる権力も与えはしない。
あなたが得るのは真理、そして偽りからの自由だけなのだ。(p332)
他者を助ける力
(真理は他者を助ける力を授けるに違いない、というなら)
たとえどんなに高尚であろうとも、それは単なる想像にすぎない。
真理においては、あなたは他者を助けたりはしない。
なぜなら他者というものは存在しないからだ。
あなたが人びとを高尚な人と程度の低い人に区別し、高尚な人に程度の低い
人を助けるように頼むのだ。
あなたが分割し、判断し、評価し、非難するのだ。
真理の名のもとに、あなたは真理を破壊してしまう。
真理を公式化しようとするあなたの欲望そのものが、真理を否定するのだ。
なぜなら、それは言葉のなかに包括できないものだからだ。
真理は行為のなかで偽りを否定していくことによってだけ表現できる。
このために、あなたは偽りを偽りとして見(ヴィヴェーカ)なければならな
い。
そしてそれを拒絶する(ヴァイラーギャ)のだ。
偽りを放棄することが、解放と活力を与える。
それは完成への道を切り開いていく。(p332-333)
他者というもの
(真理は他者を助ける力を授けるに違いない、というなら)
たとえどんなに高尚であろうとも、それは単なる想像にすぎない。
真理においては、あなたは他者を助けたりはしない。
なぜなら他者というものは存在しないからだ。
あなたが人びとを高尚な人と程度の低い人に区別し、高尚な人に程度の低い
人を助けるように頼むのだ。
あなたが分割し、判断し、評価し、非難するのだ。
真理の名のもとに、あなたは真理を破壊してしまう。
真理を公式化しようとするあなたの欲望そのものが、真理を否定するのだ。
なぜなら、それは言葉のなかに包括できないものだからだ。
真理は行為のなかで偽りを否定していくことによってだけ表現できる。
このために、あなたは偽りを偽りとして見(ヴィヴェーカ)なければならな
い。
そしてそれを拒絶する(ヴァイラーギャ)のだ。
偽りを放棄することが、解放と活力を与える。
それは完成への道を切り開いていく。(p332-333)
真理の名のもとに
(真理は他者を助ける力を授けるに違いない、というなら)
たとえどんなに高尚であろうとも、それは単なる想像にすぎない。
真理においては、あなたは他者を助けたりはしない。
なぜなら他者というものは存在しないからだ。
あなたが人びとを高尚な人と程度の低い人に区別し、高尚な人に程度の低い
人を助けるように頼むのだ。
あなたが分割し、判断し、評価し、非難するのだ。
真理の名のもとに、あなたは真理を破壊してしまう。
真理を公式化しようとするあなたの欲望そのものが、真理を否定するのだ。
なぜなら、それは言葉のなかに包括できないものだからだ。
真理は行為のなかで偽りを否定していくことによってだけ表現できる。
このために、あなたは偽りを偽りとして見(ヴィヴェーカ)なければならな
い。
そしてそれを拒絶する(ヴァイラーギャ)のだ。
偽りを放棄することが、解放と活力を与える。
それは完成への道を切り開いていく。(p332-333)
真理を発見した
(真理を発見したことをいつ知るのか、というなら)
「これが真理だ」、「あれが真理だ」といった考えが起こらないときだ。
真理が自らそれ自身を主張することはない。
それは偽りを偽りとして見ることのなかにあるのだ。
マインドが偽りによって盲目になっているとき、真理の探究は無駄になって
しまう。
真理があなたに現れる前に、偽りは完全に浄化されなければならないのだ。(p333)
偽りを偽りとして見るA
(真理を発見したことをいつ知るのか、というなら)
「これが真理だ」、「あれが真理だ」といった考えが起こらないときだ。
真理が自らそれ自身を主張することはない。
それは偽りを偽りとして見ることのなかにあるのだ。
マインドが偽りによって盲目になっているとき、真理の探究は無駄になって
しまう。
真理があなたに現れる前に、偽りは完全に浄化されなければならないのだ。(p333)
偽りとは何か
(偽りとは何か、というなら)
存在をもたないものは間違いなく偽りだ。
(存在をもたないとはどういう意味か、というなら)
それ自身で矛盾するものが、存在をもたないのだ。
あるいはつかの間の存在しかもたないもの、どちらも同じことだ。
なぜなら、はじまりと終わりをもつものは、その間をもたないからだ。
それは空っぽだ。
それはマインドから与えられた名前と形はもっていても、実体も本質ももた
ないのだ。(p333)
存在をもたない
(存在をもたないとはどういう意味か、というなら)
それ自身で矛盾するものが、存在をもたないのだ。
あるいはつかの間の存在しかもたないもの、どちらも同じことだ。
なぜなら、はじまりと終わりをもつものは、その間をもたないからだ。
それは空っぽだ。
それはマインドから与えられた名前と形はもっていても、実体も本質ももた
ないのだ。(p333)
宇宙は存在をもっていない
(もし過ぎ去っていくものがすべて存在をもたないとしたら、宇宙もまた存在
をもたないことになる、というなら)
誰がそれを否定しただろうか?
もちろん、宇宙は存在をもっていない。(p333)
何が存在をもっているのか
(何が存在をもっているのか、というなら)
存在に依存しないそれ、宇宙が現れるとともに現れることなく、宇宙が消え
去るとともに消え去ることのないそれ、いかなる証明も必要とせず、しかし、
それが触れるすべてのものに実在を分け与えるそれだ。
一瞬間だけ、あたかも実在のように現れるのが偽りの本性なのだ。
真実は偽りの父だとも言えるだろう。
しかし、偽りは時間と空間に限定され、環境によって生まれるものなのだ。(p333)
偽りの本性
(何が存在をもっているのか、というなら)
存在に依存しないそれ、宇宙が現れるとともに現れることなく、宇宙が消え
去るとともに消え去ることのないそれ、いかなる証明も必要とせず、しかし、
それが触れるすべてのものに実在を分け与えるそれだ。
一瞬間だけ、あたかも実在のように現れるのが偽りの本性なのだ。
真実は偽りの父だとも言えるだろう。
しかし、偽りは時間と空間に限定され、環境によって生まれるものなのだ。(p333)
真実は偽りの父
(何が存在をもっているのか、というなら)
存在に依存しないそれ、宇宙が現れるとともに現れることなく、宇宙が消え
去るとともに消え去ることのないそれ、いかなる証明も必要とせず、しかし、
それが触れるすべてのものに実在を分け与えるそれだ。
一瞬間だけ、あたかも実在のように現れるのが偽りの本性なのだ。
真実は偽りの父だとも言えるだろう。
しかし、偽りは時間と空間に限定され、環境によって生まれるものなのだ。(p333)
考えられたこと
何であれ、マインドによって考えられたことは偽りに違いない。
なぜなら、それはかならず相対的で限定的になるからだ。
実在は人知の及ばないものであり、ある目的のために利用できるものではな
い。
それはそれ自体のために求められなければならないのだ。(p333)
人知の及ばないもの
(人知の及ばないものを、どうやって望むことができるのか、というなら)
ほかに何か望む価値のあるものがあるだろうか?
ものを求めるように実在を求められないことは確かだ。
しかし、あなたは偽りを偽りとして見て、それを放棄することができる。
真実への道を開くのは、偽りを放棄することなのだ。(p333-334)
偽りの焦点
利己主義と利己心が偽りの焦点だ。
あなたの日々の生活は、欲望と恐れの間を揺れ動いている。
それを余念なく見守りなさい。
そうすれば、川が岩の合間で泡を立てるように、あなたはマインドがいかに
して無数の名前と形を装うのかを理解するだろう。
あらゆる行為を、その利己的な動機までたどっていきなさい。
そしてその動機を余念なく、それが消え去るまで見つづけなさい。(p334)
利己的な動機
利己主義と利己心が偽りの焦点だ。
あなたの日々の生活は、欲望と恐れの間を揺れ動いている。
それを余念なく見守りなさい。
そうすれば、川が岩の合間で泡を立てるように、あなたはマインドがいかに
して無数の名前と形を装うのかを理解するだろう。
あらゆる行為を、その利己的な動機までたどっていきなさい。
そしてその動機を余念なく、それが消え去るまで見つづけなさい。(p334)
自己本位な動機
(生きるために、人は自分自身の面倒を見なければならない、というなら)
あなた自身のために収入を得る必要はない。
だが、妻や子供のためにそうしなければならないかもしれない。
ほかの人のために、あなたは働きつづけなければならないかもしれない。
ただ生きつづけることでさえ犠牲となりうるのだ。
利己的になる必要などどこにもない。
あらゆる自己本位な動機を見るなり、すぐに放棄しなさい。
そうすれば、あなたが真理を探究する必要はない。
真理があなたを見いだすだろう。(p334)
最低限必要なもの
(最低限必要なものがある、というなら)
あなたがそれを思ったことで、それは供給されはしなかっただろうか?
利己主義への囚われを捨て去りなさい。
そして行為における知性と愛である、ありのままのあなたでありなさい。(p334)
生き残ること
(人は生き残らなければならない、というなら)
生き残ることはどうすることもできないのだ!
真のあなたは時間を超え、誕生と死をも超えている。
そして、身体はそれが必要とされるまで生存するだろう。
長く生き残ることが重要なのではない。
充実した人生の方が、長い人生より良いのだ。(p334)
生命の大海A
生命の大海は人類だけでなく、すべてを包含している。
まず、すべての自己同一化を放棄し、あなた自身をあれやこれとして考える
のをやめなさい。
あらゆる利己主義を放棄しなさい。
物質的であれ、霊的であれ、あなたの幸福について心配するのをやめなさい。
粗雑なものであれ、微妙なものであれ、すべての欲望を放棄しなさい。
いかなる類(たぐい)の達成についても考えることをやめなさい。
あなたは今ここで、完璧なのだ。
あなたは絶対的に何も必要ないのだ。
それは何も、あなたが無能で無謀な、軽率で無関心な人になるべきだという
ことではない。
ただ自分自身に関する根本的な不安が去るべきなのだ。
あなたにはいくらかの食事と衣服、そして住居が必要だ。
しかし、欲望を必要と見なさないかぎり、それが問題をつくり出すことはな
いだろう。
想像ではなく、あるがままのものごとと調和のうちに生きなさい。(p334-335)
文化的な背景
(何が充実した人生かは文化的な背景によるものだ、というなら)
もしあなたが実在を探求しているのなら、すべての文化的な考えや感じ方の
パターンといった背景から、あなた自身を自由にしなければならない。
男や女であるといった観念さえ、人間であるという観念でさえ放棄されるべ
きなのだ。
生命の大海は人類だけでなく、すべてを包含している。
まず、すべての自己同一化を放棄し、あなた自身をあれやこれとして考える
のをやめなさい。
あらゆる利己主義を放棄しなさい。
物質的であれ、霊的であれ、あなたの幸福について心配するのをやめなさい。
粗雑なものであれ、微妙なものであれ、すべての欲望を放棄しなさい。
いかなる類(たぐい)の達成についても考えることをやめなさい。
あなたは今ここで、完璧なのだ。
あなたは絶対的に何も必要ないのだ。(p334-335)
実在を探求
もしあなたが実在を探求しているのなら、すべての文化的な考えや感じ方の
パターンといった背景から、あなた自身を自由にしなければならない。
男や女であるといった観念さえ、人間であるという観念でさえ放棄されるべ
きなのだ。
生命の大海は人類だけでなく、すべてを包含している。
まず、すべての自己同一化を放棄し、あなた自身をあれやこれとして考える
のをやめなさい。
あらゆる利己主義を放棄しなさい。
物質的であれ、霊的であれ、あなたの幸福について心配するのをやめなさい。
粗雑なものであれ、微妙なものであれ、すべての欲望を放棄しなさい。
いかなる類(たぐい)の達成についても考えることをやめなさい。
あなたは今ここで、完璧なのだ。
あなたは絶対的に何も必要ないのだ。(p334-335)
あなたの幸福
生命の大海は人類だけでなく、すべてを包含している。
まず、すべての自己同一化を放棄し、あなた自身をあれやこれとして考える
のをやめなさい。
あらゆる利己主義を放棄しなさい。
物質的であれ、霊的であれ、あなたの幸福について心配するのをやめなさい。
粗雑なものであれ、微妙なものであれ、すべての欲望を放棄しなさい。
いかなる類(たぐい)の達成についても考えることをやめなさい。
あなたは今ここで、完璧なのだ。
あなたは絶対的に何も必要ないのだ。
それは何も、あなたが無能で無謀な、軽率で無関心な人になるべきだという
ことではない。
ただ自分自身に関する根本的な不安が去るべきなのだ。
あなたにはいくらかの食事と衣服、そして住居が必要だ。
しかし、欲望を必要と見なさないかぎり、それが問題をつくり出すことはな
いだろう。
想像ではなく、あるがままのものごとと調和のうちに生きなさい。(p334-335)
欲望 と 必要A
あらゆる利己主義を放棄しなさい。
物質的であれ、霊的であれ、あなたの幸福について心配するのをやめなさい。
粗雑なものであれ、微妙なものであれ、すべての欲望を放棄しなさい。
いかなる類(たぐい)の達成についても考えることをやめなさい。
あなたは今ここで、完璧なのだ。
あなたは絶対的に何も必要ないのだ。
それは何も、あなたが無能で無謀な、軽率で無関心な人になるべきだという
ことではない。
ただ自分自身に関する根本的な不安が去るべきなのだ。
あなたにはいくらかの食事と衣服、そして住居が必要だ。
しかし、欲望を必要と見なさないかぎり、それが問題をつくり出すことはな
いだろう。
想像ではなく、あるがままのものごとと調和のうちに生きなさい。(p334-335)
調和のうちに生きなさい
生命の大海は人類だけでなく、すべてを包含している。
まず、すべての自己同一化を放棄し、あなた自身をあれやこれとして考える
のをやめなさい。
あらゆる利己主義を放棄しなさい。
物質的であれ、霊的であれ、あなたの幸福について心配するのをやめなさい。
粗雑なものであれ、微妙なものであれ、すべての欲望を放棄しなさい。
いかなる類(たぐい)の達成についても考えることをやめなさい。
あなたは今ここで、完璧なのだ。
あなたは絶対的に何も必要ないのだ。
それは何も、あなたが無能で無謀な、軽率で無関心な人になるべきだという
ことではない。
ただ自分自身に関する根本的な不安が去るべきなのだ。
あなたにはいくらかの食事と衣服、そして住居が必要だ。
しかし、欲望を必要と見なさないかぎり、それが問題をつくり出すことはな
いだろう。
想像ではなく、あるがままのものごとと調和のうちに生きなさい。(p334-335)
人間でなければ
(もし私が人間でなければ、何だというのか、というなら)
あなたに、あなたが人間だと考えさせるものは人間ではない。
それは意識内の無次元の点、意識している無なのだ。
あなたがあなた自身に関して言えることは、「私は在る」だけだ。
あなたは純粋な存在―意識―至福だ。
それを実現することが、すべての探求の終焉(しゅうえん)なのだ。
あなたがあなた自身だと思いこんでいることすべてが単なる幻影であり、そ
して一時的なものを一時的なものとして、想像上のものを想像上のものとし
て、非現実のものを非現実のものとして、純粋な気づきのなかで超然と離れ
て見るとき、あなたは探求の終焉に突き当たるのだ。
それは難しいことではない。
だが、無執着が必要とされる。(p335)
無次元の点A
(もし私が人間でなければ、何だというのか、というなら)
あなたに、あなたが人間だと考えさせるものは人間ではない。
それは意識内の無次元の点、意識している無なのだ。
あなたがあなた自身に関して言えることは、「私は在る」だけだ。
あなたは純粋な存在―意識―至福だ。
それを実現することが、すべての探求の終焉(しゅうえん)なのだ。
あなたがあなた自身だと思いこんでいることすべてが単なる幻影であり、そ
して一時的なものを一時的なものとして、想像上のものを想像上のものとし
て、非現実のものを非現実のものとして、純粋な気づきのなかで超然と離れ
て見るとき、あなたは探求の終焉に突き当たるのだ。
それは難しいことではない。
だが、無執着が必要とされる。(p335)
意識している無
(もし私が人間でなければ、何だというのか、というなら)
あなたに、あなたが人間だと考えさせるものは人間ではない。
それは意識内の無次元の点、意識している無なのだ。
あなたがあなた自身に関して言えることは、「私は在る」だけだ。
あなたは純粋な存在―意識―至福だ。
それを実現することが、すべての探求の終焉(しゅうえん)なのだ。
あなたがあなた自身だと思いこんでいることすべてが単なる幻影であり、そ
して一時的なものを一時的なものとして、想像上のものを想像上のものとし
て、非現実のものを非現実のものとして、純粋な気づきのなかで超然と離れ
て見るとき、あなたは探求の終焉に突き当たるのだ。
それは難しいことではない。
だが、無執着が必要とされる。(p335)
探求の終焉
(もし私が人間でなければ、何だというのか、というなら)
あなたに、あなたが人間だと考えさせるものは人間ではない。
それは意識内の無次元の点、意識している無なのだ。
あなたがあなた自身に関して言えることは、「私は在る」だけだ。
あなたは純粋な存在―意識―至福だ。
それを実現することが、すべての探求の終焉(しゅうえん)なのだ。
あなたがあなた自身だと思いこんでいることすべてが単なる幻影であり、そ
して一時的なものを一時的なものとして、想像上のものを想像上のものとし
て、非現実のものを非現実のものとして、純粋な気づきのなかで超然と離れ
て見るとき、あなたは探求の終焉に突き当たるのだ。
それは難しいことではない。
だが、無執着が必要とされる。(p335)
偽り と 時間
真理を見ることが困難なのは、偽りにしがみつくからだ。
ひとたび偽りには時間が必要で、時間を必要とするものは偽りだと理解すれ
ば、あなたは今このときにあっても時間を超えている。
実在の間近にいるのだ。
時間のなかでの永遠とは、時計の運動のような単なる反復にすぎない。
それは過去から未来へとかぎりなく空虚に永続していくだけだ。
実在は現在を、単なる精神的なものにすぎない過去や未来とはまったく異な
った、活気あふれるものにする。
もしあなたが何かを達成するのに時間が必要ならば、それは偽物に違いない。
真実はつねにあなたとともにある。
あるがままのあなたになるために待つ必要はないのだ。
ただ、マインドが探求のために外へ出ていくのを許してはならない。
何かが欲しいときは、自分自身に尋ねなさい。
「私はそれが本当に欲しいのだろうか?」と。
そして答えがノーならば、ただ捨て去るがいい。(p335)
時間が必要
真理を見ることが困難なのは、偽りにしがみつくからだ。
ひとたび偽りには時間が必要で、時間を必要とするものは偽りだと理解すれ
ば、あなたは今このときにあっても時間を超えている。
実在の間近にいるのだ。
時間のなかでの永遠とは、時計の運動のような単なる反復にすぎない。
それは過去から未来へとかぎりなく空虚に永続していくだけだ。
実在は現在を、単なる精神的なものにすぎない過去や未来とはまったく異な
った、活気あふれるものにする。
もしあなたが何かを達成するのに時間が必要ならば、それは偽物に違いない。
真実はつねにあなたとともにある。
あるがままのあなたになるために待つ必要はないのだ。
ただ、マインドが探求のために外へ出ていくのを許してはならない。
何かが欲しいときは、自分自身に尋ねなさい。
「私はそれが本当に欲しいのだろうか?」と。
そして答えがノーならば、ただ捨て去るがいい。(p334-335)
本当に欲しいのだろうか?
もしあなたが何かを達成するのに時間が必要ならば、それは偽物に違いない。
真実はつねにあなたとともにある。
あるがままのあなたになるために待つ必要はないのだ。
ただ、マインドが探求のために外へ出ていくのを許してはならない。
何かが欲しいときは、自分自身に尋ねなさい。
「私はそれが本当に欲しいのだろうか?」と。
そして答えがノーならば、ただ捨て去るがいい。(p335)
在るということ以上に
(私は幸福になるべきではないのか? もしあるものが必要で、それが私を
幸せにするなら、それを手に入れるべきではないのか、というなら)
あなたが在るということ以上に、あなたを幸せにすることのできるものはな
い。
幸福へのすべての探求が不幸のもととなり、より多くの不幸を導くのだ。
価値のある唯一の幸福とは、意識的存在の自然な幸福だ。(p335)
探求 と 不幸
(私は幸福になるべきではないのか? もしあるものが必要で、それが私を
幸せにするなら、それを手に入れるべきではないのか、というなら)
あなたが在るということ以上に、あなたを幸せにすることのできるものはな
い。
幸福へのすべての探求が不幸のもととなり、より多くの不幸を導くのだ。
価値のある唯一の幸福とは、意識的存在の自然な幸福だ。(p335)
自然な幸福
(私は幸福になるべきではないのか? もしあるものが必要で、それが私を
幸せにするなら、それを手に入れるべきではないのか、というなら)
あなたが在るということ以上に、あなたを幸せにすることのできるものはな
い。
幸福へのすべての探求が不幸のもととなり、より多くの不幸を導くのだ。
価値のある唯一の幸福とは、意識的存在の自然な幸福だ。(p335)
たくさんの体験
(そのような高いレベルの気づきに達する前に、たくさんの体験が必要では
ないか、というなら)
体験はただ記憶を後に残し、すでに充分重い重荷に加えるだけだ。
あなたにこれ以上の体験は必要ない。
過去のものだけで充分だ。
そして、もしそれ以上が必要だというのなら、周囲の人びとのハートのなか
に見入るがいい。
何千年かけても不可能な多様な体験の数々をあなたは見いだすだろう。
他者の悲しみから学びなさい。
そしてあなた自身を救うがいい。
あなたに必要なのは体験ではなく、すべての体験から自由になることだ。
体験に貪欲(どんよく)になってはいけない。
あなたには何も必要ないのだ。(p336)
充分重い重荷
(そのような高いレベルの気づきに達する前に、たくさんの体験が必要では
ないか、というなら)
体験はただ記憶を後に残し、すでに充分重い重荷に加えるだけだ。
あなたにこれ以上の体験は必要ない。
過去のものだけで充分だ。
そして、もしそれ以上が必要だというのなら、周囲の人びとのハートのなか
に見入るがいい。
何千年かけても不可能な多様な体験の数々をあなたは見いだすだろう。
他者の悲しみから学びなさい。
そしてあなた自身を救うがいい。
あなたに必要なのは体験ではなく、すべての体験から自由になることだ。
体験に貪欲(どんよく)になってはいけない。
あなたには何も必要ないのだ。(p336)
他者の悲しみから
(そのような高いレベルの気づきに達する前に、たくさんの体験が必要では
ないか、というなら)
体験はただ記憶を後に残し、すでに充分重い重荷に加えるだけだ。
あなたにこれ以上の体験は必要ない。
過去のものだけで充分だ。
そして、もしそれ以上が必要だというのなら、周囲の人びとのハートのなか
に見入るがいい。
何千年かけても不可能な多様な体験の数々をあなたは見いだすだろう。
他者の悲しみから学びなさい。
そしてあなた自身を救うがいい。
あなたに必要なのは体験ではなく、すべての体験から自由になることだ。
体験に貪欲(どんよく)になってはいけない。
あなたには何も必要ないのだ。(p336)
体験から自由に
(そのような高いレベルの気づきに達する前に、たくさんの体験が必要では
ないか、というなら)
体験はただ記憶を後に残し、すでに充分重い重荷に加えるだけだ。
あなたにこれ以上の体験は必要ない。
過去のものだけで充分だ。
そして、もしそれ以上が必要だというのなら、周囲の人びとのハートのなか
に見入るがいい。
何千年かけても不可能な多様な体験の数々をあなたは見いだすだろう。
他者の悲しみから学びなさい。
そしてあなた自身を救うがいい。
あなたに必要なのは体験ではなく、すべての体験から自由になることだ。
体験に貪欲(どんよく)になってはいけない。
あなたには何も必要ないのだ。(p336)
感情的に巻き込まれる
私のまわりで、ものごとは起こる。
しかし、私はそれらに手を貸さないのだ。
私が感情的に巻き込まれるときだけ、出来事は体験となるのだ。
私は改善を必要としない完全な状態のなかにいる。
体験が私にとって何の役に立つというのだろう?(p336)
出来事 と 体験
私のまわりで、ものごとは起こる。
しかし、私はそれらに手を貸さないのだ。
私が感情的に巻き込まれるときだけ、出来事は体験となるのだ。
私は改善を必要としない完全な状態のなかにいる。
体験が私にとって何の役に立つというのだろう?(p336)
自分自身に対するには
ものごとを扱うには、ものごとの知識が必要だ。
人びとに対応するには、洞察と共感が必要だ。
自分自身に対するには、あなたには何も必要ない。
意識的存在である、あるがままのあなたでありなさい。
そして、あなた自身からさ迷い出てはならない。(p336)
大学教育
(大学教育はもっとも有益なものだ、というなら)
疑いなく、それはあなたに生活の糧(かて)を得る助けを与えてくれるだろ
う。
だが、それはあなたにどのように生きるかを教えはしない。
あなたは心理学の学生だ。
それはある特定の状況のなかでは、あなたを助けるだろう。
しかし、あなたは心理学によって生きることができるだろうか?
行為のなかで実在が反映されたときだけ、生命は価値あるものとなるのだ。
死期が訪れたとき、あなたが「私は良く生きた。ふたたび生きる必要はない」
と言えるために、どのように生きればいいのかを教える大学はないだろう。
私たちのほとんどは、ふたたび生きたいと願いながら死んでいく。
あまりにも多くの過ちを犯し、あまりにも多くのやり残しがあるからだ。
ほとんどの人びとが、無為単調な生活をし、本当に生きているとは言えない。
彼らは単に体験を集め、彼らの記憶を豊富にするだけなのだ。
しかし、感覚的でも、観念的でもなく、身体でも、マインドでもない、しか
もそれらを含み、そのどちらをも超えていく実在を体験は否定してしてしま
うのだ。(p336)
私は良く生きた
(大学教育はもっとも有益なものだ、というなら)
疑いなく、それはあなたに生活の糧(かて)を得る助けを与えてくれるだろ
う。
だが、それはあなたにどのように生きるかを教えはしない。
あなたは心理学の学生だ。
それはある特定の状況のなかでは、あなたを助けるだろう。
しかし、あなたは心理学によって生きることができるだろうか?
行為のなかで実在が反映されたときだけ、生命は価値あるものとなるのだ。
死期が訪れたとき、あなたが「私は良く生きた。ふたたび生きる必要はない」
と言えるために、どのように生きればいいのかを教える大学はないだろう。
私たちのほとんどは、ふたたび生きたいと願いながら死んでいく。
あまりにも多くの過ちを犯し、あまりにも多くのやり残しがあるからだ。
ほとんどの人びとが、無為単調な生活をし、本当に生きているとは言えない。
彼らは単に体験を集め、彼らの記憶を豊富にするだけなのだ。
しかし、感覚的でも、観念的でもなく、身体でも、マインドでもない、しか
もそれらを含み、そのどちらをも超えていく実在を体験は否定してしてしま
うのだ。(p336)
夜警にでもなり
あなたの外面的生活は重要でない。
あなたは夜警にでもなり、幸福に生きることもできる。
内面におけるあなたが何なのか、それが重要なのだ。
いかなる大学もあなた自身として在ることを教えはしない。
学ぶ方法は実践しかないのだ。
たった今、あなた自身として在りはじめなさい。
あなたではないものを放棄し、どこまでも深く入っていきなさい。
井戸を掘る人が地下水層に達するまで水ではないものを捨て去るように、あ
なたもまた、自分自身ではないものを、放棄できるものが何ひとつなくなる
まで捨て去らなければならないのだ。
あなたはマインドがつかむことのできるものが何も残されていないのを見る
だろう。
あなたは人間でさえないのだ。
あなたはただ在る。
時間と空間と同一の広がりをもち、しかもその両方を超え、それ自体原因の
ない、究極の原因である覚醒の一点なのだ。
もしあなたが「あなたは誰か?」と尋ねるならば、私はこう答えるだろう。
「私は特定な何かではない、しかし、それでも私は在るのだ」と。(p337)
井戸を掘る人が
たった今、あなた自身として在りはじめなさい。
あなたではないものを放棄し、どこまでも深く入っていきなさい。
井戸を掘る人が地下水層に達するまで水ではないものを捨て去るように、あ
なたもまた、自分自身ではないものを、放棄できるものが何ひとつなくなる
まで捨て去らなければならないのだ。
あなたはマインドがつかむことのできるものが何も残されていないのを見る
だろう。
あなたは人間でさえないのだ。
あなたはただ在る。
時間と空間と同一の広がりをもち、しかもその両方を超え、それ自体原因の
ない、究極の原因である覚醒の一点なのだ。
もしあなたが「あなたは誰か?」と尋ねるならば、私はこう答えるだろう。
「私は特定な何かではない、しかし、それでも私は在るのだ」と。(p337)
人間でさえない
たった今、あなた自身として在りはじめなさい。
あなたではないものを放棄し、どこまでも深く入っていきなさい。
井戸を掘る人が地下水層に達するまで水ではないものを捨て去るように、あ
なたもまた、自分自身ではないものを、放棄できるものが何ひとつなくなる
まで捨て去らなければならないのだ。
あなたはマインドがつかむことのできるものが何も残されていないのを見る
だろう。
あなたは人間でさえないのだ。
あなたはただ在る。
時間と空間と同一の広がりをもち、しかもその両方を超え、それ自体原因の
ない、究極の原因である覚醒の一点なのだ。
もしあなたが「あなたは誰か?」と尋ねるならば、私はこう答えるだろう。
「私は特定な何かではない、しかし、それでも私は在るのだ」と。(p337)
究極の原因
たった今、あなた自身として在りはじめなさい。
あなたではないものを放棄し、どこまでも深く入っていきなさい。
井戸を掘る人が地下水層に達するまで水ではないものを捨て去るように、あ
なたもまた、自分自身ではないものを、放棄できるものが何ひとつなくなる
まで捨て去らなければならないのだ。
あなたはマインドがつかむことのできるものが何も残されていないのを見る
だろう。
あなたは人間でさえないのだ。
あなたはただ在る。
時間と空間と同一の広がりをもち、しかもその両方を超え、それ自体原因の
ない、究極の原因である覚醒の一点なのだ。
もしあなたが「あなたは誰か?」と尋ねるならば、私はこう答えるだろう。
「私は特定な何かではない、しかし、それでも私は在るのだ」と。(p337)
覚醒の一点
たった今、あなた自身として在りはじめなさい。
あなたではないものを放棄し、どこまでも深く入っていきなさい。
井戸を掘る人が地下水層に達するまで水ではないものを捨て去るように、あ
なたもまた、自分自身ではないものを、放棄できるものが何ひとつなくなる
まで捨て去らなければならないのだ。
あなたはマインドがつかむことのできるものが何も残されていないのを見る
だろう。
あなたは人間でさえないのだ。
あなたはただ在る。
時間と空間と同一の広がりをもち、しかもその両方を超え、それ自体原因の
ない、究極の原因である覚醒の一点なのだ。
もしあなたが「あなたは誰か?」と尋ねるならば、私はこう答えるだろう。
「私は特定な何かではない、しかし、それでも私は在るのだ」と。(p337)
特定な何かではない
たった今、あなた自身として在りはじめなさい。
あなたではないものを放棄し、どこまでも深く入っていきなさい。
井戸を掘る人が地下水層に達するまで水ではないものを捨て去るように、あ
なたもまた、自分自身ではないものを、放棄できるものが何ひとつなくなる
まで捨て去らなければならないのだ。
あなたはマインドがつかむことのできるものが何も残されていないのを見る
だろう。
あなたは人間でさえないのだ。
あなたはただ在る。
時間と空間と同一の広がりをもち、しかもその両方を超え、それ自体原因の
ない、究極の原因である覚醒の一点なのだ。
もしあなたが「あなたは誰か?」と尋ねるならば、私はこう答えるだろう。
「私は特定な何かではない、しかし、それでも私は在るのだ」と。(p337)
普遍的人生
普遍的であることとは何だろうか?
理念としてではなく、ひとつの生き方として。
何であれあなたがであうものと分離せず、反対せず、理解し、愛することが
普遍的に生きることだ。
私は世界であり、世界は私だ。
世界は私のものであり、世界はわが家だと本当に言えること。
すべての存在は私の存在であり、すべての意識は私の意識だ。
すべての悲しみは私の悲しみであり、すべての喜びは私の喜びだ。
これが普遍的人生なのだ。
それにもかかわらず、私の真の存在は、あなたもまたそうであるように宇宙
を超え、それゆえ特定や普遍といった範疇(はんちゅう)をも超えている。
それは、それであるものだ。
完全に自己充足し、独立しているのだ。(p337)
探求者
探求者とは彼自身を探している人だ。
じきに彼は、身体が彼ではありえないと発見する。
ひとたび「私は身体ではない」という確信がしっかりと確立されれば、もは
や彼は身体に代わって感じ、考え、行動することはできなくなる。
彼は普遍的な存在、知識、行為なのだということを容易に発見するだろう。
彼のなかで、彼を通して宇宙全体が真実で、意識的で、活動的になるのだ。
これが問題の核心だ。
あなたは身体意識として環境の奴隷となるか、あるいはあなたは普遍的意識
そのものであり、あらゆる出来事を完全に制御するかだ。(p338)
真の居場所
しかし、それでも意識、個人、普遍なるものは私の真の居場所ではないのだ。
私はその中にはなく、それは私のものではない。
その中に「私」はない。
どのようにして人が意識でもなく、無意識でもなく、ただ彼方に在ることが
できるのかを説明することは容易でないが、私は彼方にあるのだ。
私は神の中にいる、あるいは私は神だ、とは言えない。
神は普遍的な光と愛、普遍的な観照者だ。
私は普遍的なものさえ超えているのだ。(p338)
私
私は私であるものだ。
形がなく、形がないということでもない。
意識ではなく、無意識でもない。
私はこれらすべての範疇の外に在るのだ。
単なる否定によって私を見いだすことはできない。
私はすべてであり、無なのだ。
その両方であり、その両方でない。
そういった定義は宇宙の支配者には当てはまるだろうが、私には当てはまら
ないのだ。
私は完全であり完璧なのだ。
私は存在の中の存在性、知ることの中の知、幸福の充足だ。
私を虚空に引き下げることはできない。(p339)
必要なのは
そうではないのだ。
私はあなたがまさに必要としているものを差しだしている――気づきだ。
あなたは空腹ではなく、パンも必要ない。
あなたに必要なのは停止、放棄、解放だ。
あなたが必要だと信じているものは、あなたに必要なものではないのだ。
あなたが本当に必要としているものを知っているのは私だ。
あなたではない。
あなたは私がいる状態に戻らなければならない――あなたの自然な状態に。
ほかの何であれ、あなたの考えるものは幻想であり、障害だ。
私を信じてほしい。
あるがままのあなたとして在ること、それ以外は何も必要ないのだ。
あなたは獲得することによって、あなたの価値が増加すると想像している。
それは金が銅を加えることで、それを改善するだろうと想像しているような
ものだ。
あなたの本質にとって異質なすべてのものを除去し、浄化し、放棄すること
で充分だ。
それ以外のすべては無駄なのだ。(p339)
気づき
そうではないのだ。
私はあなたがまさに必要としているものを差しだしている――気づきだ。
あなたは空腹ではなく、パンも必要ない。
あなたに必要なのは停止、放棄、解放だ。
あなたが必要だと信じているものは、あなたに必要なものではないのだ。
あなたが本当に必要としているものを知っているのは私だ。
あなたではない。
あなたは私がいる状態に戻らなければならない――あなたの自然な状態に。
ほかの何であれ、あなたの考えるものは幻想であり、障害だ。
私を信じてほしい。
あるがままのあなたとして在ること、それ以外は何も必要ないのだ。
あなたは獲得することによって、あなたの価値が増加すると想像している。
それは金が銅を加えることで、それを改善するだろうと想像しているような
ものだ。
あなたの本質にとって異質なすべてのものを除去し、浄化し、放棄すること
で充分だ。
それ以外のすべては無駄なのだ。(p339)
必要 と 放棄
そうではないのだ。
私はあなたがまさに必要としているものを差しだしている――気づきだ。
あなたは空腹ではなく、パンも必要ない。
あなたに必要なのは停止、放棄、解放だ。
あなたが必要だと信じているものは、あなたに必要なものではないのだ。
あなたが本当に必要としているものを知っているのは私だ。
あなたではない。
あなたは私がいる状態に戻らなければならない――あなたの自然な状態に。
ほかの何であれ、あなたの考えるものは幻想であり、障害だ。
私を信じてほしい。
あるがままのあなたとして在ること、それ以外は何も必要ないのだ。
あなたは獲得することによって、あなたの価値が増加すると想像している。
それは金が銅を加えることで、それを改善するだろうと想像しているような
ものだ。
あなたの本質にとって異質なすべてのものを除去し、浄化し、放棄すること
で充分だ。
それ以外のすべては無駄なのだ。(p339)
あるがままA
私を信じてほしい。
あるがままのあなたとして在ること、それ以外は何も必要ないのだ。
あなたは獲得することによって、あなたの価値が増加すると想像している。
それは金が銅を加えることで、それを改善するだろうと想像しているような
ものだ。
あなたの本質にとって異質なすべてのものを除去し、浄化し、放棄すること
で充分だ。
それ以外のすべては無駄なのだ。(p339)
獲得
私を信じてほしい。
あるがままのあなたとして在ること、それ以外は何も必要ないのだ。
あなたは獲得することによって、あなたの価値が増加すると想像している。
それは金が銅を加えることで、それを改善するだろうと想像しているような
ものだ。
あなたの本質にとって異質なすべてのものを除去し、浄化し、放棄すること
で充分だ。
それ以外のすべては無駄なのだ。(p339)
除去・浄化・放棄
私を信じてほしい。
あるがままのあなたとして在ること、それ以外は何も必要ないのだ。
あなたは獲得することによって、あなたの価値が増加すると想像している。
それは金が銅を加えることで、それを改善するだろうと想像しているような
ものだ。
あなたの本質にとって異質なすべてのものを除去し、浄化し、放棄すること
で充分だ。
それ以外のすべては無駄なのだ。(p339)
マインドの議論
マインドがそこにある、とあなたに言うのはマインドなのだ。
騙されてはいけない。
マインドについての果てしない議論はみな、マインドそのものによってそれ
自身を保護し、継続し、拡張するために生みだされたのだ。
それを超えた彼方へとあなたを連れていくことができるのは、マインドの回
旋や動乱を完全に拒絶することだ。(p340)
思考の彼方
私が言いつづけていることに耳を貸しなさい。
そして、それから離れてはならない。
つねにそれについて考えなさい。
それ以外の何も考えてはならない。
そこへ到達したなら、すべての思考を放棄しなさい。
世界に関してだけでなく、あなた自身に関する概念も放棄しなさい。
沈黙の存在―気づきの中で、すべての思考の彼方にとどまりなさい。
それは進歩ではない。
なぜなら、あなたが到達するものはすでにあなたの中にあり、あなたを待っ
ているからだ。(p340)
進歩ではない
私が言いつづけていることに耳を貸しなさい。
そして、それから離れてはならない。
つねにそれについて考えなさい。
それ以外の何も考えてはならない。
そこへ到達したなら、すべての思考を放棄しなさい。
世界に関してだけでなく、あなた自身に関する概念も放棄しなさい。
沈黙の存在―気づきの中で、すべての思考の彼方にとどまりなさい。
それは進歩ではない。
なぜなら、あなたが到達するものはすでにあなたの中にあり、あなたを待っ
ているからだ。(p340)
意味を空っぽに
私が言いつづけていることに耳を貸しなさい。
そして、それから離れてはならない。
つねにそれについて考えなさい。
それ以外の何も考えてはならない。
そこへ到達したなら、すべての思考を放棄しなさい。
世界に関してだけでなく、あなた自身に関する概念も放棄しなさい。
沈黙の存在―気づきの中で、すべての思考の彼方にとどまりなさい。
それは進歩ではない。
なぜなら、あなたが到達するものはすでにあなたの中にあり、あなたを待っ
ているからだ。
そして「私は在る」に関連したいかなる想念がやってきても、それらのすべ
ての意味を空っぽにし、注意を払ってはならない。(p340)
体験 と 実在
いかに高尚であっても、体験は実在のものではない。
体験はその本性からして、来ては去っていくものなのだ。
自己実現は獲得されるものではない。
それはもっと理解の本質に近いものだ。
ひとたびそれに到達すれば、けっして失われることはない。
その反対に、意識は変化し、流れ、瞬間から瞬間へと変容を通り抜けていく。
意識とその内容をとどめようとしてはならない。
意識をとどめれば、それは止まる。
洞察のひらめきと至福の爆発を永続させようと試みることは、それを維持し
ようとするものにとって破壊的になる。
来るものは去らなければならない。
永遠なるものは、去来するすべてのものの彼方にあるのだ。
すべての体験の根底へ、存在の感覚へと行きなさい。
無限の実在は存在と非存在の彼方にある。
何度も繰り返し試みることだ。(p341-342)
自己実現
いかに高尚であっても、体験は実在のものではない。
体験はその本性からして、来ては去っていくものなのだ。
自己実現は獲得されるものではない。
それはもっと理解の本質に近いものだ。
ひとたびそれに到達すれば、けっして失われることはない。
その反対に、意識は変化し、流れ、瞬間から瞬間へと変容を通り抜けていく。
意識とその内容をとどめようとしてはならない。
意識をとどめれば、それは止まる。
洞察のひらめきと至福の爆発を永続させようと試みることは、それを維持し
ようとするものにとって破壊的になる。
来るものは去らなければならない。
永遠なるものは、去来するすべてのものの彼方にあるのだ。
すべての体験の根底へ、存在の感覚へと行きなさい。
無限の実在は存在と非存在の彼方にある。
何度も繰り返し試みることだ。(p341-342)
至福の爆発
いかに高尚であっても、体験は実在のものではない。
体験はその本性からして、来ては去っていくものなのだ。
自己実現は獲得されるものではない。
それはもっと理解の本質に近いものだ。
ひとたびそれに到達すれば、けっして失われることはない。
その反対に、意識は変化し、流れ、瞬間から瞬間へと変容を通り抜けていく。
意識とその内容をとどめようとしてはならない。
意識をとどめれば、それは止まる。
洞察のひらめきと至福の爆発を永続させようと試みることは、それを維持し
ようとするものにとって破壊的になる。
来るものは去らなければならない。
永遠なるものは、去来するすべてのものの彼方にあるのだ。
すべての体験の根底へ、存在の感覚へと行きなさい。
無限の実在は存在と非存在の彼方にある。
何度も繰り返し試みることだ。(p341-342)
永遠なるもの
いかに高尚であっても、体験は実在のものではない。
体験はその本性からして、来ては去っていくものなのだ。
自己実現は獲得されるものではない。
それはもっと理解の本質に近いものだ。
ひとたびそれに到達すれば、けっして失われることはない。
その反対に、意識は変化し、流れ、瞬間から瞬間へと変容を通り抜けていく。
意識とその内容をとどめようとしてはならない。
意識をとどめれば、それは止まる。
洞察のひらめきと至福の爆発を永続させようと試みることは、それを維持し
ようとするものにとって破壊的になる。
来るものは去らなければならない。
永遠なるものは、去来するすべてのものの彼方にあるのだ。
すべての体験の根底へ、存在の感覚へと行きなさい。
無限の実在は存在と非存在の彼方にある。
何度も繰り返し試みることだ。(p341-342)
存在の感覚へ
来るものは去らなければならない。
永遠なるものは、去来するすべてのものの彼方にあるのだ。
すべての体験の根底へ、存在の感覚へと行きなさい。
無限の実在は存在と非存在の彼方にある。
何度も繰り返し試みることだ。(p341-342)
存在に証明は必要ない
だが、私はほかでもない、それをしているのだ!
休むことなく、私はひとつの論争の余地のない要因へと彼らを引き寄せてい
る。
存在に証明は必要ない。
それはそれ以外のすべてを証明するのだ。
もし彼らが存在の事実の中に深く入っていき、「私は在る」が扉となる広大
さと栄光を見いだし、その扉を通り抜けて、さらに彼方へと進んで行くなら、
彼らの人生は幸福と光に満ちたものとなるだろう。
私を信じてほしい。
到達したとき、発見されるものに比べれば、必要とされる努力など無に等し
いのだ。(p342)
無に等しい
存在に証明は必要ない。
それはそれ以外のすべてを証明するのだ。
もし彼らが存在の事実の中に深く入っていき、「私は在る」が扉となる広大
さと栄光を見いだし、その扉を通り抜けて、さらに彼方へと進んで行くなら、
彼らの人生は幸福と光に満ちたものとなるだろう。
私を信じてほしい。
到達したとき、発見されるものに比べれば、必要とされる努力など無に等し
いのだ。(p342)
王道
あらゆるレベルで、人生のあらゆる領域において、すべてに対して開かれた
そのような道はあるのだ。
誰もが自分自身に気づいている。
自己覚醒を深め、広めていくことは王道なのだ。
それを留意、観照、あるいはただ注意と呼んでもいい。
それはすべての人たちのためにある。
誰もそれにとって未熟ではない。
そして誰にも失敗はありえない。(p342)
観照とは
誰もが自分自身に気づいている。
自己覚醒を深め、広めていくことは王道なのだ。
それを留意、観照、あるいはただ注意と呼んでもいい。
それはすべての人たちのためにある。
誰もそれにとって未熟ではない。
そして誰にも失敗はありえない。
しかし、もちろんただ注意するだけではない。
あなたの留意はマインドをも含まなければならないのだ。
観照とは、根本的に意識とその動きへの気づきなのだ。(p342-343)
世界の改善
確かに、世界の改善のために努力することは、もっとも賞賛に値する仕事だ。
非利己的に為されることで、それはマインドを明晰にし、ハートを浄化する。
しかし、じきに人ははかない夢を追求していることを自覚するのだ。
特定の地域の、一時的な改善はつねに可能だ。
そして、それは偉大な王や教師の影響のもとで何度も達成されてきた。
だが、それはすぐに終局を迎え、人類を新しい悲惨な循環の輪のなかにおき
ざりにするのだ。(p344)
再生への唯一の道
(あなたは逃避を勧めているのではないのか、というなら)
その反対だ。
再生への唯一の道は破壊を通してしかないのだ。
新しい金の宝飾品を鋳造する前に、あなたは古い宝飾品を、一度形のない状
態に溶かさなければならない。
世界を超えた彼方へ行った人びとだけが、世界を変えることができるのだ。
そうでなければ、それはけっして起こらない。
影響力が長く続いた少数の人たちは皆、実在を実現した人たちだった。
彼らのレベルに到達しなさい。
そして、そうなってから世界を助けることについて話すがいい。(p344)
世界を助ける
(あなたは逃避を勧めているのではないのか、というなら)
その反対だ。
再生への唯一の道は破壊を通してしかないのだ。
新しい金の宝飾品を鋳造する前に、あなたは古い宝飾品を、一度形のない状
態に溶かさなければならない。
世界を超えた彼方へ行った人びとだけが、世界を変えることができるのだ。
そうでなければ、それはけっして起こらない。
影響力が長く続いた少数の人たちは皆、実在を実現した人たちだった。
彼らのレベルに到達しなさい。
そして、そうなってから世界を助けることについて話すがいい。(p344)
人間の行動が
人間の行動が恐れや欲望に支配されているかぎり、そこには何の希望もない。
そして、どのようにして効果的に人びとに話をもちかけるかを知るには、あ
なた自身、すべての欲望と恐れから自由にならなければならないのだ。(p344)
必要なもの
(一定の基本的な欲望や恐れは不可避なものであり、それらは食べ物、セッ
クス、死に関連している、というなら)
それらは必要なものであり、必要なものとして容易に満たされる。(p344)
死ぬ必要性
(死でさえも必要なのか、というなら)
長く、充実した人生を生き、あなたは死ぬ必要性を感じるのだ。
欲望と恐れが誤って適用されたときにだけ、それは破壊的になる。
確かに欲望は正しく、恐れは誤りだ。
だが、人びとが間違ったものを欲望し、正しいものを恐れるならば、それら
は混沌と絶望を生み出すのだ。(p344)
意識しつづけていたい
何にもまして、私たちは意識しつづけていたい。
あらゆる苦しみや屈辱を耐えてでも、意識しつづけることを望むのだ。
この体験への欲望に逆らって、顕現すべてを手放さないかぎり、解放はあり
えない。
私たちは罠にはまったままなのだ。(p346)
屈辱を耐えて
何にもまして、私たちは意識しつづけていたい。
あらゆる苦しみや屈辱を耐えてでも、意識しつづけることを望むのだ。
この体験への欲望に逆らって、顕現すべてを手放さないかぎり、解放はあり
えない。
私たちは罠にはまったままなのだ。(p346)
体験への欲望
何にもまして、私たちは意識しつづけていたい。
あらゆる苦しみや屈辱を耐えてでも、意識しつづけることを望むのだ。
この体験への欲望に逆らって、顕現すべてを手放さないかぎり、解放はあり
えない。
私たちは罠にはまったままなのだ。(p346)
罠にはまった
何にもまして、私たちは意識しつづけていたい。
あらゆる苦しみや屈辱を耐えてでも、意識しつづけることを望むのだ。
この体験への欲望に逆らって、顕現すべてを手放さないかぎり、解放はあり
えない。
私たちは罠にはまったままなのだ。(p346)
鏡 と イメージ
鏡はイメージを映しだすが、イメージが鏡を改善することはない。
あなたは鏡ではなく、鏡のなかのイメージでもない。
鏡を完全なものにし、それが正確に、真実に投影するようにしてから鏡の向
きを自分自身の方向に変え、鏡が反映できるかぎりの、真実のあなたの投影
を見なさい。
しかし、投影はあなた自身ではないのだ。
あなたは投影を見る者だ。
それを明確に理解しなさい。
あなたが何を知覚しようとも、あなたはあなたが知覚するものではないのだ。(p347-348)
鏡の向きを変え
鏡はイメージを映しだすが、イメージが鏡を改善することはない。
あなたは鏡ではなく、鏡のなかのイメージでもない。
鏡を完全なものにし、それが正確に、真実に投影するようにしてから鏡の向
きを自分自身の方向に変え、鏡が反映できるかぎりの、真実のあなたの投影
を見なさい。
しかし、投影はあなた自身ではないのだ。
あなたは投影を見る者だ。
それを明確に理解しなさい。
あなたが何を知覚しようとも、あなたはあなたが知覚するものではないのだ。(p347-348)
投影を見る者
鏡はイメージを映しだすが、イメージが鏡を改善することはない。
あなたは鏡ではなく、鏡のなかのイメージでもない。
鏡を完全なものにし、それが正確に、真実に投影するようにしてから鏡の向
きを自分自身の方向に変え、鏡が反映できるかぎりの、真実のあなたの投影
を見なさい。
しかし、投影はあなた自身ではないのだ。
あなたは投影を見る者だ。
それを明確に理解しなさい。
あなたが何を知覚しようとも、あなたはあなたが知覚するものではないのだ。(p347-348)
あなたは誰か?
あなたは鏡と投影の両方を見ることができるのだ。
あなたはそのどちらでもない。
あなたは誰なのか?
決まり文句で答えてはならない。
答えは言葉のなかにないからだ。
言葉で表せるもっとも近い表現は、「私は知覚を可能にし、体験者とその体
験を超えた生命だ」と言えよう。(p348)
知らなくても
どのようにやっているのかも知らずに、あなたはたくさんのことをしている
のだ。
消化し、血液やリンパ液を循環させ、筋肉を動かしている。
すべて、どのようにしているのかさえ知らずに。
同じように、あなたはなぜ、どのようにしてるのかも知らないまま、知覚し、
感じ、考えている。
同じように、あなたは知らなくてもあなた自身なのだ。
真我としてのあなたに何も間違ったところはない。
それはそれとして完全だ。
正しく澄んでいないのは鏡なのだ。
それゆえ、それがあなたに偽りのイメージを与えるのだ。
あなた自身を正す必要はない。
ただあなた自身に関するあなたの考えを正しなさい。(p348)
無限なるもの
真我としてのあなたに何も間違ったところはない。
それはそれとして完全だ。
正しく澄んでいないのは鏡なのだ。
それゆえ、それがあなたに偽りのイメージを与えるのだ。
あなた自身を正す必要はない。
ただあなた自身に関するあなたの考えを正しなさい。
あなた自身を鏡と鏡のなかのイメージから引き離すことを学びなさい。
つねに、「私はマインドでも、その考えでもない」ということを覚えておき
なさい。
信念とともに、忍耐強くそれをしなさい。
そうすればあなたは、すべてを包容し、すべてに遍在する永遠の存在―知識
―愛の源としての、あなた自身の直接の姿を知るときがかならず来るだろう。
あなたは身体のなかに焦点を合わせた無限なるものだ。
今、あなたは身体しか見ていない。
真剣に試みてみなさい。
そうすれば、無限なるものだけを見るようになるだろう。(p348)
精神を汚し、鈍く
すべての体験は、かならず一時的なものだ。
だが、すべての体験の根底にあるものは不動なのだ。
出来事と呼ばれるものは何ひとつ永続しない。
だが、ある出来事はマインドを浄化し、ある出来事はそれを汚(けが)して
しまう。
深い洞察とすべてを包容する愛の瞬間はマインドを浄化する。
だが、欲望と恐れ、妬(ねた)みと怒り、盲目と知的慢心は精神を汚し、鈍
くしてしまうのだ。(p348)
真我の実現 と 苦しみ
それ(真我の実現)なしには、あなたは果てしない苦しみのなかで、無意味
に欲望と恐れを繰り返しながらそれらに食い尽くされてしまうだろう。
ほとんどの人びとは苦痛に終わりがありうることさえ知らないのだ。
しかし、ひとたび彼らがその良い知らせを耳にしたならば、すべての争いや
葛藤(かっとう)を超えていくことがもっとも緊急の仕事となるだろう。
あなたは自由になれることを知っている。
そして今、それはあなたにかかっているのだ。
永遠に空腹で、渇き、切望し、探し求め、手探りし、つかみ取り、つねに失
い、悲しみに暮れるか、あるいは全身全霊で、何を加えることも、何を取り
去ることもない永遠の完成の状態を探求しに出かけるか、どちらかだ。
そのなかではすべての欲望と恐れは不在だ。
それらがあきらめられたからではなく、それらに意味がなくなったからなの
だ。(p349)
苦痛に終わりが
それ(真我の実現)なしには、あなたは果てしない苦しみのなかで、無意味
に欲望と恐れを繰り返しながらそれらに食い尽くされてしまうだろう。
ほとんどの人びとは苦痛に終わりがありうることさえ知らないのだ。
しかし、ひとたび彼らがその良い知らせを耳にしたならば、すべての争いや
葛藤(かっとう)を超えていくことがもっとも緊急の仕事となるだろう。
あなたは自由になれることを知っている。
そして今、それはあなたにかかっているのだ。
永遠に空腹で、渇き、切望し、探し求め、手探りし、つかみ取り、つねに失
い、悲しみに暮れるか、あるいは全身全霊で、何を加えることも、何を取り
去ることもない永遠の完成の状態を探求しに出かけるか、どちらかだ。
そのなかではすべての欲望と恐れは不在だ。
それらがあきらめられたからではなく、それらに意味がなくなったからなの
だ。(p349)
緊急の仕事
それ(真我の実現)なしには、あなたは果てしない苦しみのなかで、無意味
に欲望と恐れを繰り返しながらそれらに食い尽くされてしまうだろう。
ほとんどの人びとは苦痛に終わりがありうることさえ知らないのだ。
しかし、ひとたび彼らがその良い知らせを耳にしたならば、すべての争いや
葛藤(かっとう)を超えていくことがもっとも緊急の仕事となるだろう。
あなたは自由になれることを知っている。
そして今、それはあなたにかかっているのだ。
永遠に空腹で、渇き、切望し、探し求め、手探りし、つかみ取り、つねに失
い、悲しみに暮れるか、あるいは全身全霊で、何を加えることも、何を取り
去ることもない永遠の完成の状態を探求しに出かけるか、どちらかだ。
そのなかではすべての欲望と恐れは不在だ。
それらがあきらめられたからではなく、それらに意味がなくなったからなの
だ。(p349)
自由になれる
それ(真我の実現)なしには、あなたは果てしない苦しみのなかで、無意味
に欲望と恐れを繰り返しながらそれらに食い尽くされてしまうだろう。
ほとんどの人びとは苦痛に終わりがありうることさえ知らないのだ。
しかし、ひとたび彼らがその良い知らせを耳にしたならば、すべての争いや
葛藤(かっとう)を超えていくことがもっとも緊急の仕事となるだろう。
あなたは自由になれることを知っている。
そして今、それはあなたにかかっているのだ。
永遠に空腹で、渇き、切望し、探し求め、手探りし、つかみ取り、つねに失
い、悲しみに暮れるか、あるいは全身全霊で、何を加えることも、何を取り
去ることもない永遠の完成の状態を探求しに出かけるか、どちらかだ。
そのなかではすべての欲望と恐れは不在だ。
それらがあきらめられたからではなく、それらに意味がなくなったからなの
だ。(p349)
あなたにかかっている
それ(真我の実現)なしには、あなたは果てしない苦しみのなかで、無意味
に欲望と恐れを繰り返しながらそれらに食い尽くされてしまうだろう。
ほとんどの人びとは苦痛に終わりがありうることさえ知らないのだ。
しかし、ひとたび彼らがその良い知らせを耳にしたならば、すべての争いや
葛藤(かっとう)を超えていくことがもっとも緊急の仕事となるだろう。
あなたは自由になれることを知っている。
そして今、それはあなたにかかっているのだ。
永遠に空腹で、渇き、切望し、探し求め、手探りし、つかみ取り、つねに失
い、悲しみに暮れるか、あるいは全身全霊で、何を加えることも、何を取り
去ることもない永遠の完成の状態を探求しに出かけるか、どちらかだ。
そのなかではすべての欲望と恐れは不在だ。
それらがあきらめられたからではなく、それらに意味がなくなったからなの
だ。(p349)
意味がなくなった
それ(真我の実現)なしには、あなたは果てしない苦しみのなかで、無意味
に欲望と恐れを繰り返しながらそれらに食い尽くされてしまうだろう。
ほとんどの人びとは苦痛に終わりがありうることさえ知らないのだ。
しかし、ひとたび彼らがその良い知らせを耳にしたならば、すべての争いや
葛藤(かっとう)を超えていくことがもっとも緊急の仕事となるだろう。
あなたは自由になれることを知っている。
そして今、それはあなたにかかっているのだ。
永遠に空腹で、渇き、切望し、探し求め、手探りし、つかみ取り、つねに失
い、悲しみに暮れるか、あるいは全身全霊で、何を加えることも、何を取り
去ることもない永遠の完成の状態を探求しに出かけるか、どちらかだ。
そのなかではすべての欲望と恐れは不在だ。
それらがあきらめられたからではなく、それらに意味がなくなったからなの
だ。(p349)
在りなさい@
何もすることはないのだ。
ただ在りなさい。
何もしてはいけない。
在りなさい。
山に登って洞窟のなかに座ることはない。
わたしは「あなた自身で在りなさい」とさえ言わない。
なぜなら、あなたはあなた自身を知らないからだ。
ただ、在りなさい。
あなたは知覚可能な「外側」の世界でもなければ、思考可能な「内側」の世界でもない。
あなたは身体でもマインドでもないことを見極めたのだ。
ただ在りなさい。(p349)
知覚可能な「外側」の世界
何もすることはないのだ。
ただ在りなさい。
何もしてはいけない。
在りなさい。
山に登って洞窟のなかに座ることはない。
私は「あなた自身で在りなさい」とさえ言わない。
なぜなら、あなたはあなた自身を知らないからだ。
ただ在りなさい。
あなたは知覚可能な「外側」の世界でもなければ、思考可能な「内側」の世
界でもない。
あなたは身体でもマインドでもないことを見極めたのだ。
ただ在りなさい。(p349)
思考可能な「内側」の世界
何もすることはないのだ。
ただ在りなさい。
何もしてはいけない。
在りなさい。
山に登って洞窟のなかに座ることはない。
私は「あなた自身で在りなさい」とさえ言わない。
なぜなら、あなたはあなた自身を知らないからだ。
ただ在りなさい。
あなたは知覚可能な「外側」の世界でもなければ、思考可能な「内側」の世
界でもない。
あなたは身体でもマインドでもないことを見極めたのだ。
ただ在りなさい。(p349)
真我の実現 と 段階
真我の実現に段階などない。
何も漸進的なところはないのだ。
それは突然起こり、後戻りできないものだ。
あなたは新しい次元のなかに入り、そこから以前の次元が単なる抽象的観念
でしかなかったことを見る。
日の出とともに、ものごとをあるがままに見るように、あなたは真我を実現
することですべてをあるがままに見るのだ。
幻想の世界は後に残されたままだ。(p349)
後戻りできない
真我の実現に段階などない。
何も漸進的なところはないのだ。
それは突然起こり、後戻りできないものだ。
あなたは新しい次元のなかに入り、そこから以前の次元が単なる抽象的観念
でしかなかったことを見る。
日の出とともに、ものごとをあるがままに見るように、あなたは真我を実現
することですべてをあるがままに見るのだ。
幻想の世界は後に残されたままだ。(p349)
抽象的観念
真我の実現に段階などない。
何も漸進的なところはないのだ。
それは突然起こり、後戻りできないものだ。
あなたは新しい次元のなかに入り、そこから以前の次元が単なる抽象的観念
でしかなかったことを見る。
日の出とともに、ものごとをあるがままに見るように、あなたは真我を実現
することですべてをあるがままに見るのだ。
幻想の世界は後に残されたままだ。(p349)
準備 と 実現
準備(サーダナ)のなかに進歩はありうる。
実現は突然のものだ。
果実はゆっくり熟していく。
しかし、落ちるのは突然であり、しかも、もとに戻ることはないのだ。(p349)
戻ることはない
準備(サーダナ)のなかに進歩はありうる。
実現は突然のものだ。
果実はゆっくり熟していく。
しかし、落ちるのは突然であり、しかも、もとに戻ることはないのだ。(p349)
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